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 ミリエーヌはただ微笑んでいるだけ。
 なのに緊張感が高まる。
 静かなよい夜なのに、あたりは殺気が支配していた。
 虫さえ鳴かない。
 夜鷹の声も聞こえない。
 月はけぶって見えづらい。
 ただ街灯が照らしている石畳のメインストリート。
 わたしにはミリエーヌが粗悪な出来だとは思えなかった。
 これだけきちんと対応できるのだ。実力もあるだろう。
 ヘタに動くと危険だった。

「アオザキ様、いくつか質問してよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「まず肋骨は何本でしょうか?」

 ――こいつ……。

 わたしは動揺を隠しながら答える。

「肋骨は3つ」
「まぁ」

 嬉しそうに目を細める。

「それでは、流れる血潮は?」
「ただの水銀」

 その答えに笑う。

「それではその心臓は?」
「鼓動を拍ったことはない」

 手を叩きだしそうなほど喜んでいる。

「質問にお答えいただき、ありがとうございます」

 艶やかなのに、どこか無表情という人形の笑み。

「では――参ります」

 とたん姿が消える。
 その次に風が唸り、突風が吹きつけ、とたん背後から締め上げられていた。
 右手をねじられ、首に腕がまわっている。

「さぁ戻りましょう、アオザキ様」

 耳元で囁かれる。
 速いというものではない。まさに疾風だった。
 人間の視力能力を超えた動き。
 ねじられている右手の痛みを感じながら、話しかける。

「なるほど、アルバが言っていた『人間』ではなく――」
「そうですとも」

 自動人形は、綺麗なキングズ・イングリッシュで囁く。
 体が密着して聞こえてくるのは鼓動ではなく、歯車が軋む音。

「人を超えた者の創造ですわ」
「……ふん……ドイツ人の考えそうなことだ」

 わたしはヒトラーで揶揄する。
 しかし、

「あら、ヒトラーはオーストリア人であって、ドイツ人ではございませんわ」

 軽くいなされる。
 しかしアルバも物わかりが悪い。このようなものを作って「 」に至るだと?

「暴れないでくださいませ。アルバ様はできればご自分の手であなたを殺害したいと申していましたから」

 可憐な少女の声で囁かれるぶっそうな事。
 しかしあいにくと――。

 わたしは前もって用意しておいた回路を動かす。ルーンストーンと同じ。まずそこに配置し、なんらかの結果によって回路が動き出すようにしたルーン。

 とたん、自動人形は手を離す。
 ねじ上げていた右手が突然燃え始めたからだ。
 肉が焦げるあの臭い。
 痛い。
 痛いというもんじゃない。
 神経がかよっている手が、しかも痛覚などが集中しているといわれる手が、しかも指先が燃えているのだ。
 苦しい。
 神経ひとつひとつに針先を突き立てられているかのような苦痛。
 火傷として水疱ができる前に肉が焼き爛れ、焦げていく、この責め苦。
 一気に脂汗が吹き出る。
 息を吸いたいが、舌がまるまって呼吸できない。
 心臓の鼓動だけが聞こえる。
 まるで鼓膜の側に心臓があるかのよう。
 顔が熱くなる。
 痛くなる。
 はれているよう。

「なんていうことを――」

 自動人形なのに、驚き、そして戦いている。
 なるほど。アルバも言うだけのことはある。ここまで感情表現できるとは。
 綺麗に手入れされた指先。その爪にはきちんと装飾されたネイルアート。
 そこに描かれたルーン。それが仕掛け。
 どくんどくんと体が心臓の鼓動にあわせて揺らめく。
 全身がぱんぱんにふくれあがっている感じ。
 痛い。
 感覚が奇妙だ。
 傷みしかない。
 苦しみしかない。
 息するのもできないぐらい痛い。
 苦痛しかない。
 右手が痛むはずなのに、全身の神経が爛れてしまったかのよう。
 そして視力もぼやける。
 脂汗がわきてで、目にはいり、痛い。
 呼吸が荒くて、精神集中するための催眠深度に潜るのが難しい。
 傷は右手だというのに、脳への過負荷が大きすぎるのだ。
 しかしルーンを止めない。
 燃やし続けながら、左手で印を結ぶ。

「させませんわ!」

 ミリエーヌが再び疾走し、影となる。
 空気が唸り、何の反応もできないわたしをつかむ。
 はずだった。

「――えっ?」

 ミリエーヌは自動人形らしくない驚愕の表情を浮かべる。
 掴んだはずのわたしがそこにいないからだ。

「……まさか、腕一本……駄目にする……つもりで……仕込んだルー……ンが、……たった……一つだけだと……思ったわけではあるま……いな――ミリエーヌ……」

 声がかすれて、自分でも聞き取りづらい。しかし笑いがもれる。ふてぶてしい笑い。
 脂汗で肌に髪がはりついて気持ち悪い。

「そうなら……少々期待外れ……だ、な。……手の爪は5つある。それぞれに……ルーンが記されて……いるのは……当然……だろう……」

 しゃべりながらも左手で陣を描く。
 右手には移動のラド、火のケン、計画の失敗のヘゲル、束縛のニイド、そしてそれらを隠匿のペオズのルーンが隠していた。
 束縛され機能麻痺し、計画が失敗し、移動の力で向きがそれられたミリエーヌはようやくこちらを知覚し、振り返る。が、遅い。

「……きたれ……始源の火よ。万物の姿を……変える力。創世の……力。我、魔術師、蒼崎……橙子の名において……召喚する……いで……よ…… 」

 右手の炎がゆらめく。
 ごうごうと音をたてて、さらに熱く、赤く――。

「きたれ!」

 喉の奥から絞り出す言葉。うなり声。魔術用の言葉。人間の声帯に負担をかける軋んだ、ありえない発声。
 回路が世界とつながり、力を汲み上げる。形にしようとする。隠されたものをひきずりだす。
 空気がピリピリと震える。
 町並みに地響きが起こる。
 強くない。しかしはっきりと知覚できる大地の唸り。
 振動で街灯はゆれ、建物が軋み、悲鳴をあげる。
 集う。

きたれ!!

 細分化されすぎて、力をなくした物質の中で、その根源へと至る道の上にある力。破壊と浄化。そして創り出す原動力。煌めく黄金の――。
 石畳の一部は陥没し、また隆起する。
 世界が歪む。物理世界の法則ではなく、こちら側の法則に従わせる。
 強い緊張感。強いストレス。抑止力が働く。世界が修正しようとしてくるのと回路がせめぎ合う。
 しかしこの程度ならば耐えられる。いや抑止力をうち消せる。
 まだアラヤやガイアではなく、ただの物理法則という名の抑止力ならば!

いでよ、我が呼びかけに!

 苦しみと傷みの源である右手から炎が吹きあがる。
 チロチロとくすぶっていた火が、そのまま業火となり、そのまま劫火となる。
 一気に負荷がかかる。
 吐き気を催す、火傷の苦痛のためか、それとも抑止力のためか、はたまた極度の緊張感のためか。
 それもそのはず、「 」に至る手前に、これは存在する。
 純なる存在ゆえに、その力も強力で凄まじいものがある。
 この世界の物質は3つの段階とひとつのエナジーによって分類される。
 ひとつは地ノームで表される『固体』。
 ひとつは水ウンディーネで表される『液体』。
 ひとつは風シルフで表される『気体』。
 そしてその3つの段階を移動する時に使用される火サラマンダーで表される『熱量(カロリー)』。
 世界の物質を構成する四大元素。四大精霊。道においては八卦にわかれる前の四象。その具現化。それがサラマンダー。火蜥蜴あるいは火竜と呼ばれる火という本質。火という現象。
 右手に燃え上がっていた火が消える。見えなくなる。
 わたしは肩で荒い息をしながらも、極度の精神集中を続ける。
 じりじりと肉体が焼けるのを感じるのは――吐き気がするほどの傷みだ。
 頭がおかしくなりそうなほどの激痛。痛みで人は狂えるものなのだな、と理解できる。
 ミリエーヌはいぶかむ。
 わたしがなにを召喚したのかわからないからだ。
 注意深くあたりを観察している。
 しかし何もない。見えないはず。
 わたしは脂汗がふつふつとわくのを感じる。
 玉のような汗がつながり、滝となって全身の毛穴という毛穴から吹き出していた。
 焼き焦げていない胸や頬、左手までが熱い。
 全身が火の中にいるようだ。
 あいている左手でイスのもうひとつの意味。冬、冷却を描く。
 描きつつけなければ死んでしまうだろう。
 わたしの指先がルーンを刻むのをみて、ミリエーヌはこちらへと飛翔する。
 さながら鷹のよう。怪鳥のような黒い影となってこちらへと来る。月の煌めきさえも飲み込んでしまうほどの速度。
 しかし。
 わたしは髪を焼かれ、肌を焦がしながら、嗤う。イスのルーンで冷却しても、体は焼かれ続けていた――熱に。凄まじい熱そのものに。
 とたん黒い影は炎に包まれる。一瞬のうちに発火温度をこえ、青いエプロンドレス、白いエプロン、黒いストッキング、金髪の巻き毛、その新雪のような白い肌、薔薇のような唇、麗しい碧眼――そのなにもかもが焔に包まれる。蒸発するような勢いで燃え尽きる。

「期待外れもいいところだな、ミリエーヌ」

 渦巻く凄まじい熱気――そう石をも蒸発させるほどの熱気の中、わたしは半分燃えながらも、高笑いする。
 傷みなど消えていた。しわがれていた声も、なぜかはっきりとしゃべることができる。
 地面に転がる、機械仕掛けの自動人形に向かって、優しく諭してやる。

「火というものは本来エナジーだ。よって目に見えるものではない。純粋に燃えれば燃えるほど火は赤から青、そして見えなくなるだろう。これは始源の火。劫火だ。すべてが熱というものになれるほどの高出力の存在だ。そんな存在が光など発っしなどしない」

 回りの魔力が薄くなり、回路の働きが不十分になると、サラマンダーは抑止力に従って、もとの場所へと戻る。
 こんな場所では一瞬しか使えない――いわば曲芸だ。今さっき周囲の魔力を略奪していなければできない芸当。
 そしてこんな芸当は異端の蒼崎でないとできない。
 西洋文明、西洋魔術からみれば僻地にある日本。そこに生み出された独特の魔術。陰陽道。普通ならばその流派だけを学ぶ。深く、より深く。「 」に至るため。なのに蒼崎は貪欲だった。
 深く学ぶくせに、他の流派流儀も組み込んでいった。大陸の道や中国呪術も取り入れてゆき、その結果、蒼崎の血でないとつかえない東洋魔術体系に仕上げた。
 そしてわたしは西洋魔術を学び、それさえも組み込む。
 口で西洋のサラマンダーといいながら、大陸の四象と思い、そして陰陽道の式神のように操る。
 これが蒼崎という異端だった。
 わたしは笑った。
 迸る魔力に、唸る力に酔いしれて、ただ笑い続けていた。



 笑いが去り興奮が冷めると、痛みが戻ってくる。
 右手が心臓になったよう。熱くはれぼったくて、脈打っている。
 そこに横たわる黒こげの自動人形。原型はほとんど残ってなく、ただの塵芥。
 人間の細胞とからくりで組みあがった、人間を超越したもの。
 こんなものでアルバは「 」に辿り着こうとは。
 ありえなかった。
 「 」に至る道筋は昔、神代にはあったのかもしれない。しかし細分化していった今、そこへと辿り着く道は途切れてしまっている。なのに、人間を超える自動人形など創ったところで無意味。さらに細分化して、どうするのいうのだ。より根源に、より始源へといかなければならないのに逆をいくとは――まったく。なんて愚か。
 ちらりと右手を見る。
 あの臭い。
 肉の焼ける香ばしい匂い。脂が焦げるあのたまらない臭い。とうぶん焼き肉は食べられないだろうという匂い。
 そして髪のやけたあの独特の臭い匂い。
 右腕は消し炭に近い。魔力で保護したから燃え尽きてはいないが、サラマンダーに喰われてしまっている。
 めくれあがった皮膚は哀れで、筋肉の繊維が焦げきってしまっていて、役に立ちそうもない。血管は焼かれ、血は通うことはないだろう。なのに骨だけは白くテラテラにひかっている。ぬるぬるとした体液で妙にひかって見えた。
 右腕は使い物にはならない。
 そのくせ神経も切れてその苦痛だけが脳髄をかき乱していた。
 自律神経と交感神経がバラバラになっていく、あの感じ。
 吐き気がする。
 目眩がする。
 息をして肺が動くたびにズキリと痛みが走る。
 一歩すすめるごとに、右腕のつけねから全身を貫く激痛が駆け抜ける。
 疼痛のくせ鈍痛で、でも体を動かすたびに激痛が走る。
 差し込むような痛み。胃がぎゅっと縮こまるのがわかる。胃液が逆流して吐きそう。
 たまらない。
 たまらないほど――苦しい。
 しかしその痛みの中、頭は別なことを考えていた。
 たぶん――追っ手はあと一人。
 確信していた。
 呪的逃走神話というのがある。
 日本ではイザナギが黄泉の国へ降りてイザナミをつれてこようとした時に逃げ出した話。この地イングランドではそれは大釜。豊饒を意味するケルトの秘宝。それを盗み出す話。それは妖精民話へとなり、妖精の宝を盗み出す少年のものへと変化して伝わっている。ギリシア神話では黄泉の下り、妻を救い出す楽師の話となる。それだと行きと帰りに3つの試練がある。ケルベロスの門、冥王ハデスの説得――そしてふりかえらないこと。
 学院から抜け出す。持ち出すのはわたし、そして『知識』という秘宝。
 魔力に満ちあふれたこの場において、呪的逃走神話による手助けが必要だった。
 3つの試練をかいくぐって主人公は脱出し栄光を掴む。イザナギは地上へ戻り、汚れを洗って天照大神ら三柱を生誕させる。妖精民話では少年は釜を手にして莫大な財宝を手にする。失敗した例はギリシア。彼は最後で失敗して妻を取り戻すことができず、落胆して死亡する。
 あとひとつの試練をくぐれば、神話による呪詛によってわたしは保護される、このイングランドという土地に。
 でも逆にいえば必ず追っ手がもう一人きて、それにうち勝たなければならない。神話的呪詛がはじまっている以上、今更おりることも、やめることもできない。
 あと一人――あと一人たおせば、わたしの勝ちだ。
 わたしは右手を失い、ルーンも使い切り、魔力も使い果たした。
 最後の一人――それに勝てるであろうか?





 ひどく疼く。
 右手が痛い。そのまま外気にさらしている。
 水でひやさなければならないが、雑菌による感染が怖かった。また布もあてない。これほどの火傷だとそのまま皮膚と布地がくっついて切り裂かなければならなくなる――まぁどちらにしても右腕は使い物にならないが。
 そしてわたしはテームズ川をこえようと、ウエスタンミンスター・ブリッジへと辿り着いた。
 そこに――いた。
 漆黒の男。
 全人類の苦悩を背負ったかのような男。
 そして――そしてロンドンでの、わたしの男。
   荒耶宗蓮。
 この地獄のような男が橋の上で静かに佇んでいた。
 荒耶の姿を見たとき、あぁ、となぜか納得した。
 そう。世界の抑止力はガイアとアラヤ。わたしは「 」に辿り着くために学院を抜ける。
 そう。「 」にいく道の上に、アラヤがいる。
 当然の帰結。
 その漆黒の男はわたしの右腕をみても何の感情もみせず、低く呟く。

「戻るがよい。今ならばその命までをとろうとは思わぬ」

 なんていう言いぐさ。
 わたしが抜けることを知っていて、彼は来た。
 まったく。
 思わず笑いそうになる。笑いがこみ上げてきて仕方がなかった。
 アルバはあんなに見立てとなるものを持ち込んでいたから簡単に呪うことができたが、荒耶は周到にそのようなものを一切残さなかった。
 素晴らしい。魔術師ならば、こうでないと。

「どいて、荒耶」

 どうしてこんな声になるんだろう。
 まるで――甘く、恋を、愛を囁くような声。
 恋人にねだるような声。
 疼痛がわたしの体を寒くさせる。
 血が足りない。
 でも意識ははっきりしている。
 この目の前の障害、追っ手である荒耶をただ屠るだけ。それだけでわたしは――自由。
 ――――――――――――――――自由?
 何に対して?
 たくさんある不自由の中からどれか一つを選択することができる、という自由しかないというのに?
 とりとめもないことに意識が奪われていく。目の前の出来事にきちんと精神集中できない。
 歯を食いしばり、目の前の追っ手を睨みつける。
 荒耶のその漆黒の瞳に浮かぶのは――憐憫。それとも慈愛。いえ――虚無ね。
 なんて冷淡な眼差し。
 肉欲だけでつながっていたというのに。
 まったく。
 肉体に精神が引きずられる。環境が作り上げるとは、このことだ。自嘲しながらも、それを断ち切るため、大声を発する。

退けっ!

 叫ばずにはいらわなれった。

荒耶宗蓮! 邪魔をするな!

 しかし男は、わたしの男は――なんて未練――表情ひとつ変えない。
 そして手を突き出す。
 荒耶の技。咒。呪術。そうだとわかっているのに。
 なにもしなかった。
 する気もなかった。
 わたしはただ橋を渡ろうと、荒耶へと歩いていた。
 わたしには何もなかった。
 何もなかった。
 魔力も、ルーンも、何もない。
 あるとしたら、矜持、だけ。
 魔術師としての、ほんのちっぽけな矜持。
 わたしは荒耶のために、左手でルーンを描こうとする。
 そうでないと、荒耶に対して侮辱しているからだ。
 それぐらいしかできなかった。
 いそいで描こうとするが、何を描いていいのかわからなかった。
 目標達成のフェオ?
 それとも、啓示のオス?
 火のケフ?
 中断のヘゲル?
 束縛のニイド?
 静止のイス?
 死のエオ?
 わからない。
 ただ脚が橋へと、荒耶へと動いていた。
 ただただ歩む。
 その漆黒の男へと。
 そしてようやく何を描けばいいのかわかった。
 わたしの指は描かないことで描く。
 ブランクのルーン。

「――――――――粛!」

 荒耶の怒号が響き、突きだした手のひらをぎゅっと握りしめる。
 とたん、空間が圧縮されていく。
 わたしの肉体が縮こまり、圧迫され、潰されていく。
 血が吹き出る。


 なんて――――――――――赤い。


 ルーン回路が動く。ブランクのルーンの意味は…………。


 なんて――――――――――綺麗。


 けぶった月が赤く染まっていく。
































 あおあお。
 可愛い妹。
 苛めがいのある妹。
 何時の間にわたしを越したのか、わからなかった。
 そして祖父はあおあおに――いえ青子に遺産を渡したと告げた。
 蒼崎の魔術的遺産。
 それは蒼崎の正当な後継者であることを意味する。
 最初感じたのは、何の冗談? という思い。
 そして次に混乱。
 そして困惑し、憤怒を覚えた。
 わたしは祖父を問いつめた。
 祖父は口を開く。
















 聞こえない。
















 祖父は告げる――その事実を。
















 この人は何を――言っているの?
















 理解できない。
















「橙子――お前は試作品だ」
















 理解しては――いけない。
















 でも祖父は、この人は告げる。
















 世界が歪んでいく。
















 信じていた世界が崩れ去っていく。
















「青子こそ蒼崎の名を継ぐ者。だから青と名付けた」
















 散りとなってすべてが消えていく。
















「橙子、お前はたどり着けない」
















 祖父の顔が見えない。
















 世界はすべて真っ暗に――。








「だから青色の入らない橙色を名につけた」
















 橙色。オレンジ。
 光の三原色である赤緑青の中で赤と緑をまぜた色。
















 けっして――。
















 青色は含まれない。
















 わたしは橙色。
















 青、では……ない。
















 そして称号。
















 やはり赤。
















 青ではない。
















「痛んだ赤」
















 試作品。
















 けっして――。
















 純粋な色になれない。
















 純――すなわち「 」に至れない。
















 わたしは――何?
















 わたしは……試作品……なの?
































 意識がバラバラになる。
 視界が赤く染まる。
 綺麗。
 赤色。
 わたしの色。
 世界が赤く染まる。
















 わたしはいったいなんなんだろうか――。
 魔術を魔法とするために頑張ってきたわたしはいったいなんだというのだろうか?
 その瞬間、わたしのすべてが否定された。
 今まで学んできた事、覚えてきたこと、努力してきたこと、それらすべてが、いとも簡単に、あっさりと。
 笑ってしまう。
 嗤ってしまう。
 自分は道化なのだと、突きつけられたのだ。
 こんなに頑張っても、努力しても、どれだけやったとしても。
 こんなにあっさり妹に越されてしまう。
 しかも。
 祖父はそうなると予見していた。
 そう。
 わたしは出来損ない。
 希代の魔術師として才能あると信じていたわたしが、ただ愚かなだっだたけ。
 蒼崎の魔術師の血は妹で結実していたのだ。
 その前に生み出されたわたしは、ただの――出来損ない。
 認めたくなかった。
 認めてはいけなかった。
 そうでないと――。
 ふらふらしていた妹。
 しっかり打ち込んできたわたし。
 同じ血、同じ女、同じ家系に生まれたというのに。
 わたしは、いうなれば試作品。
 蒼崎家の魔術の結晶するためのもの。
 蒼崎の魔術を魔法の領域にまで高めるための試作品。
 笑った。
 笑うしかない。
 人間、こうなるとひょうげるしかできないらしい。
 笑いながら、祖父を殺した。
 惨殺した。
 そして自分の吐いた血反吐の海の中で溺死された。
 世界がすべて赤く染まるよう。
 なんて――――――――――――――――――――――綺麗。
 その体が血と肉と糞がつまった皮袋であることを、ただ示した。
 わたしのできるかぎりの魔力と技術を用いて。
 わたしはわたし。
 橙子。
 けっして青子じゃない。
 蒼崎の色を名前を授けられた妹とは違う存在。
 だからこそ。
、英国にきた。学院に属し、技を磨いた。
 なのに――ここで得られたのは、「痛んだ赤」。
 ここでも否定された。
 試作品なのだと、青子のための何か。
 「 」決して至ることはできない、と。
 そう――否定された、のだ……。
















 世界が赤く染まっていく。
 圧縮され、長い髪が、手が、足が、指が、爪が、目が、耳が、唇が、心臓が、肺が、胃が、腸が、肝臓が、膵臓が、血が、胆汁が、骨が、筋が、筋肉が、皮膚が、産毛が、すべてが巻きあがっていく。
 巻きあがって散っていく。
 散って……いく。
















 そして、わたしの男。
















 荒耶宗蓮。
















 そして、羨望と嫉妬、そして憎悪の視線。
















 コルネリウス・アルバ
















 わたしは。
















 わたしは……何か得られた、のだろうか……。
































 疑問を抱きながら、漆黒の男を見ながら、わたしの意識は深く底のない闇へと、深淵へと落ちていく。墜ちていく。堕ちて……いく。
















 わたしが最後に描いたブランクのルーンの意味は
















『運命』そして『終わりと始まり』であった。


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