ある晴れた日。
 青い、蒼い空。
 太陽の日差しはやさしく、風は暖かい。
 緑も目に眩しい。
 そんな中、弔いの鐘がおごそかになる。
 新しい墓の前、牧師と参列者が死者を悼んでいる。
 ひっそりとした葬儀。

「かの人は偉大なる制作者であり、素晴らしい稀有な才能の持ち主でした。その突然の死にわたしたちは信じられません。しかしこれも主の思し召しであられます。灰は灰に。塵は塵に。すべては主の御心のままに。――アーメン」

 牧師の祈祷の声が静寂に響き渡る。
 ボブにフランソワ、ジョンソン、そしてトニー。
 みんな厳粛な趣で牧師の祈祷を拝聴していた。
 トニーは顔をぐしゃぐしゃにして嗚咽をあげている。
 その白く真新しい墓にはこう一言。

 たぐいまれなる造形師。日本でうまれて英国にて死す。
 Touko Aozaki.

 気配を感じて振り返る。
 そこには漆黒の男がいた。

「お見送りしてくれるの、荒耶」

 その瞳には何も写っていない。目の前にある風景でさえ写っていないだろう。でもその視線はわたしの顔にと髪に注がれている。
 わたしは手を髪にあてて言う。

「どうこれ? 短い髪は似合うかしら?」

 しかし荒耶は答えない。
 まったく。
 妹と同じく伸ばしていた髪。そんな形などには意味がないのに。なのについ伸ばしていた。
 わたしはばっさりそれを切り落とした。髪は女の命というが……さっぱりした。今までの自分という澱、しこりが綺麗さっぱりなくなったようだ。

「……その眼鏡は魔眼封じか?」
「あ……えぇそうよ」

 わたしは眼鏡をかけていた。といっても度がはいっているわけではない。普通の人にはただの伊達眼鏡。しかしこれにはわたしが注意深く精密に作り上げた魔術の品。
 魔術師としてのわたしはあまりにも強く覇気に満ちあふれすぎていた。それを押さえるための魔眼封じ。だから眼鏡をかけていると性格が切り替わる。
 だから、わたしらしくないやさしい声色。やさしい口調。でも、しもかしたら、本当はわたしらしい声や口調なのかもしれない。

「これから市井に生きるんですもの。魔術師の顔は……なるべく隠さないとね」

 そして再びわたしの葬式を見る。
 あそこに葬られているのは、もう一人のわたし。
 わたしは人形遣いとして、完璧なわたししか作れなかった。そう完璧な『蒼崎橙子』という存在。自分とまったく同じモノ。それが現在の到達点。
 それを用いたのだ。

「これからどうするつもりだ」

 疑問型でもなく、ただまるで世間話をするような口調。
 その言葉に視線を葬儀に戻す。
 わたしの葬式。生きているうちに自分のを見るとは思ってもみなかった。

「そうね。日本に帰るわ。あそこは僻地だから、学院の目も届かないしね」

 そう。わたしは死亡したのだ。イギリスにはいられない。

「――そうか」
「協力してくれてありがとう、荒耶」
「蒼崎、何を求める」

 低い、地の底から響くような陰鬱な声。

「――――真を」

 そう、蒼崎橙子としての真を。

「何処に求める」
「――――わたしの技に」

 そう、青子との違いを。

「何処を目指す」
「――――わたしを」

 そう、わたしを。青子ではない、橙子というものを。
 わたしは「 」に至る肉体、そう青子の体を作りたかったのかも知れない。
 しかし――。
 その答えに頷く荒耶。

「さらばだ、蒼崎」

 そういって去る。こちらを一度も振り返ることなく、一度もわたしの名前を呼ぶことなく。
 その黒い影を憐憫の眼差しで見つめた。

 ――――荒耶、わたしたちはたどり着けないんだよ。

 鋼のような意志、地獄のような男に向かって囁く。

 ――――魔術師は「 」を目指す。なぜかわかるか?
 ――――神秘の叡智。究極の知恵。アルス・マギカ。
 ――――そんなものにすがらなければならないほど、わたしたち魔術師は。
 ――――脆弱なんだ。わたしが青子を否定して、アルバの視線に優越にひたったように。
 ――――誇りをもたなければやっていけない。そんなものにすがりつかなければならない。
 ――――他の誰よりも弱いから、魔術師という超越者を選んだんだ。
 ――――だからこそ。
 ――――根源に達することなど出来ない。
 ――――それでも。

 もう見えなくなるその黒い影をただ見つめる。

 ――――それでも、目指すか、「 」を。

 無論、とそんな答えが返ってきた気がした。
 そして弔いの場に背を向けて、黒いオースチンのタクシーを止めた。

「行き先はヒースロー空港」
「いいよ、乗りな」

わたしは乗り込む。

「葬式なのかい」
「えぇ――」

 つい茶目っ気が顔を出す。

「わたしの葬式なんです」

 バックミラーをこちらを見る。口をまげてやれやれといった表情を運転手は浮かべる。

「おや――」

 運転手は驚きの声をあげる。

「大英博物館に勤めたとかいう――中国人だろ、あんた?」

 よく見ると、ゲジゲジ眉毛の鼻の大きな赤ら顔。顎髭をきちんとたくわえていて、愛嬌のある顔つき。英国で最初に出逢った運転手だった。

「日本人よ」
「あぁ、日本人ね。いいね、やっぱり日本の製品は。高いけど最高だよ」

 ソーホー訛のキングズ・イングリッシュが小気味よく車内に響く。

「帰国するのよ」

 窓から外を見る。
 最初きた時と違い、空は晴れていて、町並みもその明るさの中、きらびやかだった。レンガや石造りの建物には様々な照明がきらびやかに輝き、華やかだった。

「おつかれさんだね。帰国って……やめるのかい、博物館を」
「えぇ……家業を継ぐので」

 そう。それでもわたしは魔術師。たとえたどり着けないとしっても、歩みをとめるわけにはいかない。
 わたしが創り出したのはイブ。人間の原型。でもそれはあくまで人間の原型で根源には至っていない。 だからその先。アダムのもととなった わたしが目指している者は人形などではない。人間の原型。いうなればアダム。いや――それよりも前のアダム・カダモンを創造したい。
 それは人間のもととなったアダムのさらに原型。いうなれば人と「 」の橋渡し的存在。カダモンが死して埋められた土地の土塊からアダムは作られた。
 それから人間は分割されて希薄されていって、今にいたる。
 肉体の原型。それを創るのがわたしの目標。

 車が完全に止まる。
 視線がふと運転手へと注がれる。

「ついたよ」
「ありがと」

 わたしが降りると、料金を支払う。運転手はそれを仰々しく受け取ると、

「じゃあ、ミス・トーコ・アオザキ、好運を」

 ――――え?

 わたしは振り返る。しかしタクシーはそのまま走り去っていった後。

 ――――そういうこと、なの?

 笑いがこみ上げてくる。
 まったく。
 なんて。なんてバカバカしい。
 ひさしぶりに笑った。
 ああ――まったく。
 わたしはひとしきり笑うと、ヒースロー空港の入り口をくぐった。
 そしてカウンターで煙草を買う。そして火をもらい吸い込む。
 なんともいえない味。
 いがらっぽい味で、口の中が渋くなる。
 でも。
 たぶんクセになる味。
 嗜好品となるだろうという予感めいた味だった。
 そして優しい声のアナウンス。
 日本への便への搭乗を促せる声を聞きながら、わたしはゆっくりと向かった。
 帰国するために。


◇     ◇     ◇

「ああ楽しいとも」

 わたしは頷く。
 まったく素晴らしきかな青春は。

 じろりと式はにらむがわたしは気にしない。
 帰国すると、わたしは工房を創った。

 伽藍の洞。

 そう空っぽ。わたしはなにも背負っていない。
 わたしは詰めることが出来た。空っぽだからこそ。
 あるのは――魔術師としての矜持。
 人形を、人間の原型を創っても「人間」という起源にしかたどり着けない。
 だからわたしはいろんなモノを制作した。
 建物。家具。服。その色々。
 「 」はすべての源。ならばすべてのものを作れたとき――アダム・カダモンへと至る道が、そして「 」へと至る道に辿り着くのだろう。
 それは夢のような無限に近い時の螺旋の果てであろうけど。
 そしてわたしの手に入れたもの。
  雇い主に文句をいう押し掛け雇用人。
  口うるさく凶暴な、直死の魔眼をもつバイト。
  邪まな目的の、発火能力に才能がある弟子。
  わたしに気がある、間抜けな守秘義務を知らない刑事。
 まったく。
 でも。
 それが橙子として、蒼崎ではなく、橙子として手に入れたもの。

「橙子師、何わらっているんですか!」

 やれやれ。
 現実世界に属する三人に講義を始める。
 黒桐はうんざりとした顔。式はどうでもよさそう。鮮花はまぁ師の言葉としてきちんときこうという態度は一応確認できる。
 いろんな蘊蓄を語りながら、昔、不覚にも三人で写した写真を、英国から持ち帰った唯一と言っていい品を探そうと考えていた。

 ――なぁ荒耶。

 今は顔も思い出せない男へと、心の中でそっと呟いた。

 ――超越者でなくても、必要なものは手に入るんだよ。

 ――その望めば。


 ひさしぶりにサイダー――いや日本ではシードルか――で喉を湿らせたくなった。


Fin.

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