わたしは肉欲に溺れていた。
 荒耶を呼び出し、昼も夜もなく、ただ爛れた快楽に浸るだけ。
 男と肌を重ねれば重ねるほど、なじんでいった。
 このことに対して荒耶は何も言わなかった。
 ただ無言で、わたしを抱く。
 荒耶が用があって来れない時は、自分で慰めた。
 淫靡な快楽が肌の下をさざ波のようにはいずり回り、頭の中が真っ白になる。
 その刹那を得たいために、ただ荒耶に、男に、肉欲に溺れた。
 それでも――まだ女の躰の奥深くにあるくすぶった気怠い火は消えることはなかった。
 神経をただ灼き、ただ焦がすだけ。焦らされるだけ。
 一瞬の自己満足と気怠い思い。
 心の中にただ澱を残すだけ。
 この官能には惨めな味しかなかった。
 そしてそれこそわたしにお似合い。

 いっそ妊娠してしまえばいいのに。

 そう考えることさえある。そうすれば、まだ救いがあったのかもしれない。しかしいくら精を注いでもらっても、その兆候はなかった。
 体は淫欲に溺れても、心はどんどん重くなっていく。
 ただひとつの思いが、胡乱な心を縛り上げていた。
 そう――――わたしは――――魔法使いになり損ねたのだ。



 魔法使いといってもすべて「 」に辿り着くわけではない。それは究極の目標。
 今現在の文明では不可能な現象を魔法と定められている。
 わたしは『人間』を創り出すことに成功した。アルバたちが考えるような人工生命ではない。素晴らしい人間。そうわたしはイブを生み出したのだ。
 けっして科学のようなものではないが、錬金術的な手段と魔術によって。



 ――――この魔術が10年前ならば、いや5年前ならぱ魔法と呼ばれたであろう――



 言葉が蘇る。



 ――――しかし人間は「クローン」という手段できちんと作り出せるのだよ――



 忌々しい。



 ――――そして君が創り出した者は……じゃないか――



 ふざけるな。

 クローン技術自体、そう新しいものではない。人間の卵子に精子を与えることによって人工授精できた。その時にできた胚をとり、個人の遺伝子情報からとりだした胚と交換すればいいだけの話。
 そんなことはわかっている。
 すぐさま成人させた姿をみせても、科学の発展度からすれば培養液か成長促進剤が開発されて、すぐに文明に追いつかれると学院は判断した。
 そう。
 わたしの作った『研究の成果』は、すでに文明に追いつかれていたというわけだ。
 すぐれた知性、判断能力をしめしても、それはコピーできると断言されてしまった。
 記憶のインプリティング、洗脳技術の開発はすさまじいものがあった。昔はその人が望んでいないことを行わせることは出来ないといわれていたが、あれはまやかしだ。今はできる。恐怖心も自己防衛本能もすべて取り除けるのだ――いとも簡単に。
 死ねといえば死ぬ人間どいくらでも洗脳で『開発』できる。
 個人のコピーに関しても、ヴァーチャルリアリティという概念によって、果たせると判断させられた。
 たとえばA氏がいたとしよう。A氏が誕生してから死亡するまですべて詳細に記録をとる。
 そしてA氏のクローンを作成したあと、その記録どおりの状況をすべて行う。
 するとどうなる?
 そうA氏と同じ情緒、同じ感性、同じ性向をもつコピーができあがるというわけだ。
 そう――文明は追いついたのだ。
 ゆえに原色は与えられない。最高位の人形師でありながら、魔法使いにはなれなかった。
 与えられた称号は『傷んだ赤』。そう純なる色ではない。
 わたしは望んでもそれを得ることが出来ない。
 そう。
 いくら望んでも。
 まるで月夜に輝く星を求めてだだをこねるのと同じ。
 けっして。
 けっして――手に入れることは、ない。

 封印指定されると今までの研究がすべて封印される。ようはそれ以上の研究は一切禁止となる。
 やることはなく、ただ肉欲に溺れるだけ。
 ただ――浸るだけ。



 時々アルバが工房に顔を見せる。
 その笑顔がいやに鼻につく。

「封印指定だってね、大変だなぁ。アオザキは」

 さも心配しているような声。
 でもその目は。その心は、わたしを嗤っていた。しかし最近は違う、見たこともない奇妙な色を帯びていた。それがわたしをいらつかせる。
 これ以上発展することが出来ないという意味での封印指定。
 そう。
 栄誉という名前の烙印。
 この者はけっして「 」にたどり着けないという印。
 それを確認し、打ちのめされているわたしを見にくる。
 今まであった優越感は消え、ただ無性に煩く感じる。

「おや、この作りかけの人形はどうするんだい?」

 そういって埃にまみれた人形を指さす。
 それはあのとき作っていた人形。インスピレーションがわいて作成したのに、今ではそれがざらりとした何がとなっていた。

「……黙れ、アルバ」

 わたしの声のはずなのに、まるで遠くにいる誰かが話しているよう。

「どうしたんだい、私は君を心配してだなぁ」

 にこやかな笑み。ワザとらしい友好的な態度。
 心がささくれ立つ。
 言葉ひとつ、態度ひとつに苛立ちを覚える。

「今日は機嫌が悪い。すぐに出ていけ」

 アルバは大げさに肩をすくめ、出ていく。
 アルバに当たり散らかさなかったことを一応褒めておこう。
 ほんのちっぽけな矜持。
 それでも、それだけがわたしに残された最後の砦だった。

 封印指定されたわたしも時折、学院に顔を出す。
 称号をもらって希代の魔術師となったとしても、学院に属している以上、多少の義務が生じる。
 封印指定されて、肉欲に溺れる退廃的な日々を過ごすわたしにとって、学院の文字通りヒモだった。生活費から何まで学院から捻出してもらっている。
 起きたらアルコールをのみ、男と交わり、そして寝るという自堕落な日々を過ごしているわたしでも、学院の面子を立てなければならないことは重々承知している。
 どうでもよくて、無視しようかと思ったが――それでもつい来てしまった。
 ほんのちっぽけな矜持が、わたしを魔術師たらんとする矜持が、支えていた。
 今日は基礎魔術の講師である。
 ルーンの第一人者として、また封印指定された身分として、招かれたというわけだ。
 一言で言えば、面倒。
 家にかえって、ベットでただひたすらに寝たかった。
 目眩がする。たぶん、ひどい顔をしているだろう。でも、そんなことさえ気にならなかった。
 なぜなら。
 わたしの存在理由すべてを否定されたからだ。
 なんて宙ぶらりんな。
 天にも昇れず、かといって地にも足がつけない状態。
 目標も目的も気概も意志も何もかも全てなくしていた。
 からっぽなわたし。
 それが今のわたし。

「諸君ら、手元にテキストをひらき読みたまえ。理解できたらそれで今日の講義は終わり。質問は次回の講義にて受け付ける。では」

 開始そうそうしゃべった台詞がこれ。いつもなら長広舌を披露するわたしがこれしかしゃべられない。というよりしゃべる気力さえなかった。
 ざわつく講堂。
 生徒たちがざわめき、非難を言い始めた。

「……手抜きだ」
「もっときちんと」
「あなたにはその義務がある」

 ピーチクパーチクうるさかった。
 ただ煩わしいだけ。
 だいたいここに入学した時点である程度の手ほどきは受けているはず。今更、基礎など言う方が可笑しい。

「質問も次回だ」

 わたしは繰り返し、出ていこうとする。
 とある言葉がわたしの歩みをとめた。
 アルコールでふぬけになった神経が一気に目覚める。
 黒い。
 とても黒くで荒々しいモノがもたげてくる。
 振り返り、受講生を見る。

「『傷んだ赤』といわれるあなたの講義を聴きたくて参加したのですよ」

 言いしれぬなにかがこみ上げてくる。
 称号。
 傷んだ赤。
 けっしてたどり着けないということを指し示す烙印。
 それを。
 この男は。
 わたしに対して。
 口にする―――――――――――のか?

 錆び付かせていたつもりの魔術回路が働く。
 エオのルーンがその者に浮かび上がる。
 見ただけで相手の死をとらえるバラーの魔眼とまではいかないが、ルーンで相手の状態が感知できる。
 わたしを呼んだ受講生に対して、エオのルーンを描き、投射する。
 顔が一瞬にして青ざめて、胸をかきむしる。
 エオのルーンがそいつの魂と肉体をつなぐ尾を断ち切ろうとする。
 充血しきった目を見開き、口を大きく開けている。顔には血管が浮かび上がり、とても苦しそう。
 残酷な愉悦がこみ上げてくる。
 そいつは防御のための咒を唱えようとする。
 が、遅い。
 ヘゲルのルーンを素早く描き、投射する。意味は計画の失敗。
 唱えようとする咒が、唱える前に力を失い霧散していく。口からもれるのはただの言葉。けっして咒に結実することはない。
 こちらをみている。
 その瞳。
 怯えていて、恐怖に輝いている、その瞳。
 いつしかわたしは嗤っていた。
 そいつはほどなく倒れた。
 悲鳴が起こる。
 ふん、誰だ悲鳴をあげたヤツは?
 人の生死など絶対的な小柄ではないというのに。まだ通常の倫理や考え方を持ち込んだ愚か者がいるのか?
 わたしはイヤにザラついた昂揚を感じながら、また言う。

「質問などは次回だ。今日はこれにて」

 騒がしい講堂を後に出ていった。



 気が高ぶって眠れなかった。
 そのくせ、体の中にたまるドス黒い『何か』。
 それは毒だった。
 ふつふつと沸くそれは、神経を、感情を、そして理性を爛れさせていく。蝕んでいく。
 ただ重い。
 ひたすらに重い。
 手も足も何もかもが重い。
 指一本動かせないぐらい。
 そして心も重かった。
 心に重さはあるのかもしれない。
 でなければ、この重さは説明がつかなかった。
 重力の重さに耐えかねて、わたしはベットでただ喘いでいた。
 苦しい。
 朦朧とされてくれる刹那的な快楽もなく、静かに眠らせてくれるアルコールもなく、ただベットに横たわっているだけ。
 重力の重さに、地面に縛り付けられているよう。
 ただ脂汗を流し、苦しんでいる。
 なぜ苦しんでいるのかさえわからない。
 神経物質の伝達の確認のために所有している麻薬を使った。
 アップ系のはずなのに――ダウン系の酩酊感に浸っていた。
































 血みどろのわたし。
悪い夢。
































 血みどろの中、笑っている?
なんて悪い――。
































 違う。わたしは――。
夢なの?
















 わたしは昔から感情表現が下手だった。
 いつもいつもわたしは他の人とともにいるけど、側にはいなかった。
 学校にあがると、ようやく他人とどう接していいのか理解した。
 理解できれば、早い。
 その人達と交わって、その人たちが望むように振る舞った。
 要領がいいんだろう。
 もちろん時々はこちらからも要求し、我が儘もいう。
 でないと、おかしいからだ。
 完璧な人なんていない。
 完璧なんて――ない。
 なのに――それを求めている。
















 あおあお。
 それが妹の愛称。
 よくそういって可愛がった妹。
 名字と名前が同じ発音だったから、そう呼んだ。
 あおあおって呼ぶと、ぷうっとふくれた。
「あおあお」なんて呼ぶなって、泣き叫んだ。
 でもわたしはしたり顔でいう。
 だって、名前があおこなんだから、仕方がないじゃないの。
 今思えばなんて嫌味な子供。マセたガキ。
 でも――それがわたしだった。
 そして、それでふくれっつらするのは、常に妹。
 楽しかった。
 春の風の暖かさ。
 夏の日差し。
 秋の紅葉。
 冬の厳しさ。
 ずっとあおあおといた。
 わたしはあおあおを苛めていた。
 可愛かったから。
 ぷにぷにして泣いて、でもわたしにすがりついて。
 なんて可愛い。
  幼稚園で、学校で、仮面を被り続け、演じ続けたわたしにとって、自分というものをさらせるのは、あおあおとおじいちゃんだけだった。
 学校が終わると、三人で秘密の場所。
 蒼崎の工房。実験室。秘儀。
 わたしは順序だって、要領よく、魔術を学んだ。
 エーテルのこと、アストラルのこと、精神と魂と肉体について。
 発音、精神集中。回路の形成。
 わたしはすぐに覚えた。
 簡単だった。コツそえつかめばみんなできるな、と思った。
 そうおじいちゃんに尋ねると、

 ――――他の人では無理だ。才能がないからな――――

 その言葉はわたしの誇りだった。
 わたしだけ。
 なんて素敵な言葉。
 あおあおも一緒に学んでいたけど、駄目だった。
 うまくできないのだ。
 よく、できなくて泣いていた。
 こんな簡単なことなのに。
 わたしは教えた、優越感をもって。
 蒼崎の名はわたしが継ぐ。
 そう思っていた。
















 セミが五月蠅い。
 五月蠅くて、気が狂いそうなほど。
 太陽がジリジリと焦がす。
 そんな中、わたしは習った魔術を用いる。
 きちんとできているのか確認。
 ほら、簡単。
 ちょっと力を込めてみる。
 大きく、激しく、そして細やかに魔力が反応して、キラキラと。
 なんて――綺麗。
 なんて――素敵。

  すごい、お姉ちゃん

 あおあおは感嘆の声をあげる。

 綺麗だよ、お姉ちゃん!

 そういって呪を結ぶ。
 見ていて、とても不器用。
 複雑な身振り、詠唱、極度の精神集中。回路の形成。回路の発現。魔力の維持。
 それらすべてには繊細な操作が必要。
 なのに。
 適当に呪を結ぶ。適当に詠唱する。
 あんなの――成功するわけがない。








 ――――――――――――――――――なのに。








 型も流儀もなにもない、あおあおの『それ』は―――――。








 魔力の奔流とともに、わたしよりも見事に、大胆に激しく。








 ――――――――――――――――――成功させた。








 もし、神様というのがいるのならば、








 なんて不公平なんだろう、と思った。








 そう思いながらも、わたしは








 あおあおの生み出した力の奔流の流麗さに心奪われていた。
















夢。
















懐かしい、夢。
















平和な時の――――――――――――――夢。
































 それでもわたしは学院に入り浸った。
 アパートメントでごろりと横になっていればいいというのに。
 なぜか学院をうろつきまわった。
 学院にいることをなぜか欲した。
 わたしを指さす者はいなかった。
 ここは学院。魔術を学ぶ者だけが訪れる場所。
 女ひとりの奇行など誰も感心がなかった。
 そもそも、魔術師というのは奇行持ちがおおかった。
 誰も気にも留めない。
 図書館に入り浸ったかと思うと、ブラブラと散策。
 まるで雲の上を歩いているようだった。
 封印指定されたからといってここまで自己放棄する魔術師もいないだろう。むしろ、名誉だと、栄誉だと思うに違いない。
 は!
 それはただのメッキ。ピカピカにひかっているだけで、ただ人を蝕む烙印。
 他の魔術をまた学べばよいという人もいるかもしれない。
 しかしわたしにとって『人形』――いや『人間』がすべてだった。
 そのためにわざわざ渡英したのだから。
 暇をもてあまし、歩き回る。
 荒耶に抱かれているだけではない。
 荒耶だって忙しい。
 だから暇を潰す。
 潰す先は常に学院の中。
 なんのあてもなく。
 ただうろつきまわる。
 そして時折、わたしをあの忌々しい称号で呼ぶ者がいる。
 称号を得ることがあるステイタスならば、その称号で呼ばれるのもまたステイタスなのだろう。
 しかし呼んだ相手はことごとく抹殺した。
 様々な死をもたらした。
 苦悶の表情を浮かべる者。
 破裂した者。
 体の内側がめくりあがった者。
 消えてしまった者。
 ぐすぐすに溶けて消えた者。
 わたしはあの称号で呼ぶ者に容赦しなかった。
 この魔術学院では死は絶対的な評価ではなかった。
 魔術師どおしの研究の盗み合いもありうる環境において、ただ、殺された方が悪いのだ。
 そう。
 自分の身も守れない事柄に手をだした報いである、という考えが一般的だった。
 だから人を殺しても何の咎めもなかった。
 あっさりと、何の尊厳もなく、ただ殺した。殺戮した。殺害した。あの時のように。
 あの称号がわたしを苛立たせる。
 あんな称号など!
 傷んだ赤。原色ではない。そうけっして原色にたどり着けないということ。傷んだ。そう、わたしは傷んでいる。どんなに取り繕っても傷んでいるのだ。けっして――。
 けっして純な原色ではない。
 苦しい。
 この躰の奥底で気怠く燻っている火が、チロチロと苛む。
 こんなにも苛む。
 神経が高ぶって、なにも効かない。意識は逆にはっきりしていた。
 どんなに愚かな行動をしているのかも、はっきりと自覚していた。
 なのに。
 やめることなどできなかった。
 この冷たい学院の中、わたしは歩き回っていた。
 かび臭い図書室で、冷たい廊下で、光差す明るい窓辺で、人が多い講堂で、わたしは横になり、だたぼんやりと過ごした。
 そして男たちが求めれば、この躰を許した。
 いや、逆に誘った。漁った。
 刹那的な快楽。
 それだけが救い。
 その一瞬だけ、生きていた。
 魂も精神さえも枯れ果てて。
 肉体もそれに追随して、朽ちていく。
 今わたしがどこにいるのかさえはっきりしない。
 もしかしたら男に抱かれている最中なのかもしれない。
 いや男達かもしれない。
 いや――――――もしかしたら女?
 そんなこと、どうでもいい。
 弄ばれていても、どうでもいい。
 さざ波のような快感さえ感じられない。
 もしかしたら淫語をこの口から話しているかも知れない。
 いわれれば足の裏も、おしりの穴も舐めただろう。
 牝犬。
 淫乱。
 あぁ――そんなこと。
 かまわない。
 些細な事柄だ。
 ただ、抱かれている官能だけがわたしに生を感じさせてくれる。
 そして男の体温。ぬくもり。ただそれだけが恋しかった。
 なんて胡乱で、愚か。
 わかっていても――やめられなかった。
 そのくせ。
 意識ははっきりしている。
 自分がどんなに愚かな行動をしているのかわかる。
 まるで他人事のようだった。
 躰と心が別々に機能している。
 どこか別の世界のことを見ているよう。
 アストラル体になって地上界を眺めてるよう。
 蒼崎橙子という女がどこまで堕ちていけるのかを、つぶさに観察していた。
 いや――それよりも別のことが占めていた。
 わたしの躰のことも、犯されていることも、何もかも関係ない。
 たった一つのことだけ。
 「 」のこと。
 ただそれだけを胸に抱いている。
 どんなに熱く喘いでも。
 どんなに淫靡な快楽が神経を爛れさせても。
 どんなに女の肉の悦びにわなないたとしても。
 幾度も達したとしても。
 頭の中は「 」でいっぱい。
 あふれてしまいそうなほど。
 狂いそうなほど。
 いや――すでに狂ってしまっているのかもしれない。
 恋している乙女はその恋している男性のことばかりになるというが、それに近いのだろうか?
 わからない。
 恋などしたこともない。
 だた――わたしは至ることだけを渇望していた。
 あの時もそうだった。
 「 」でいっぱいになって。
 人の倫理なんて関係なかった。
 妄執といっていいほど、「 」に拘っていた。
 ただ――わたしの技、だけ。
 人工生命ではなく、人間創造。
 血と肉と骨でできた見事なまでの人間。
 肉体の原型。それは本当にそこまでなのか?
 学院が定義した限界に従っているが、本当にそうなのか?
 「 」に至ったこともない者に、その技が「 」に至ることなどないと言われる。
 大いなる矛盾。誰がそんなことを断定できるというのだ?
 わたしが作ったのは、たぶんイブ。アダムの肋骨より生まれし者。アダムに辿り着いたとしても、やはり駄目で。
 わたしも色々調べた。あれは不完全だ。完璧ゆえに不完全で。
 どこまでさぐっても、肉体の原型によって「 」にまで到達しなかった。
 できるのは「人間」という原型だけ。
 何が足りないというの?
 その先は……。
 考えることだけでいっぱいだった。




「アオザキ」

 聞き覚えのある声で意識が現実に戻る。
 今わたしは冷たい廊下の片隅。人も寄らない薄汚れた場所にいた。
 お似合いの場所だった。
 服は着ていないといった方がいい。ブラはずれ、ショーツは足首にひっかかってまるまっている。ほとんど全裸だ。躰中に鬱血のあと。そして白くこびりついた粘液。男と女の淫臭が充満していた。誰かがわたしを抱いたのだろうが、特に気にならない。口の中も粘つく。それを舌でこそげ落とし吐き出す。
 顔についた粘液もそのままに視線を巡らすと、そこには赤い法衣をきた男がいた。正式な修道院の法衣。染みひとつない鮮やかな赤が目に痛い。

「……アルバか……なんの用だ……」
「ふがいないな、アオザキ」
「……あぁ、ふがいないよ」

 わたしは肯定する。
 まったくもって、わたしはふがいない。
 それよりも、あの先はいったいなんだ?

「ふざけるな、アオザキ」

 アルバの声に怒気がこもる。
 その碧眼の瞳には苛立ちが見えた。
 うるさかった。わたしの考えに浸りたかったが、まぁいい。

「どうした? 勝利したんだぞ、喜べ」
「勝利?」

 アルバは朗々と響き渡る声で叫ぶ。

「こんなもの勝利というものか! アオザキ、君は勘違いしている」

 そういって近寄ってくる。
 ギラギラとして狂気に満ちた目。なんて――うらやましい。
 そんな目をもてば、こうならないですんだのか?
 そう尋ねようとした時。
 その男らしい手で。
 首を絞められた。

「細い首だ」

 男のアルバには簡単に締められる首。ポキリと折れそうなほど細いだろうな。
 きちんとした食事など何日もとっていない。やせ衰えているだろう。
 わたしは抵抗しない。
 ただ目を閉じ、首から力を抜く。
 それよりも大事なのは、アダムの原型。そうそれは……。

「無様だな、アオザキ」

 しゃべってないで早くやれ。わたしは瞑想しているのだ。神は人を真似て作った……。

「なんて無様だ、アオザキ。それが希代の魔術師。人形師と呼ばれたトウコ・アオザキか!?」

 目をあける。
 目の前には奇妙な表情を浮かべているアルバ。
 哀しみ?
 侮蔑?
 憤怒?
 わからない。
 それらがすべて入り交じったような視線。
 顔はくしゃくしゃで怒っているか、泣いているのか、それとも笑っているのか、なにもわからなかった。
 ただその視線だけは心地よい。
 締めている手は温かく、わたしにぬくもりを与えてくれた。

「どうした、殺すなら――殺せ」

 首を締める手が震える。
 そして締め上げてきた。
 喉が圧迫される。
 息ができない。
 頭が熱くなる。
 熱い。
 目の前が狭くなる。
 血がとまったせいだ。
 苦しい。
 でも一時。
 死ぬまでの間だけ。
 ほんの1分もない。

「生殺し……は、やめとけ……素早く手際よく……だ……アルバ……」

 そして意識を手放した。

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