言葉というものは、そのまま呪となる。
 音というものは、そのまま呪となる。
 文字はその音を記録したもの。そして他の意味も多く含んだもの。
 たとえば、わたし、という言葉がある。
 それは、「わ」と「た」と「し」で形成されている言葉。「わた」だけでは棉と思わせるし、「たし」では足しと思われる。3つの音が繋がって、はじめて「わたし」になる。ただの「わ」と「た」と「し」という音がひとつのベクトルに力が収束する。それを蒼崎橙子がいえば蒼崎橙子を指し示す言葉となり、マーガット女史がしゃべればマーガット女史を指し示す言葉となる。そういう意味であると認識するし、強制的にそのように認識させられる。
 なぜなら。
 この言葉には、そう認識させるような意味をもたせ、そのように活用し、そう覚え込んできたからだ。それによってわたしたちの言語中枢には「わたし」を第一人称を察し示す言葉として考えるように呪されている。ルーン魔術の魔術回路も同じようなもので、ただの直線で形成されているだけの印に意味を与え、その意味が力となる。すでに失われてしまい、人によってはただのラクガキにしか見えない。でもその力は神代にあったもの。自然の力、アストラルの力、エーテルの力、集団無意識下にある流れ――そういったものがある。
 だからこそ。
 ルーン文字をみたとき、人はラクガキではなく文字と認識してしまう。この形には意味があるから。そしてそれと繋ぐ魔術回路がない者には一切使用できない。オーディンは死に瀕することによって、それを得た。だから、ただルーンを刻んでも意味はない。……あるとしたら、自然界の気づけないほどの干渉程度。保護のルーンを刻めば、交通事故に合わない可能性が0.000000000000000001(%)だけ上昇する。普通の人にはその程度。
 ……でもきちんとルーン魔術に対する魔術回路を持てば。
 アストラルからの干渉、世界からの干渉がより明確となり、ルーンが指し示す世界法則に従って世界の方が修正される。持ち上げたもので支えている手を離せばモノが落ちるのは重力という世界法則のため。ニュートン物理学という名の世界法則に従っているため。しかしルーンが働ければ別の法則が動き出す。
 それを『魔術』と呼ぶ。
 そうしてわたしはルーン魔術を身につけた。そう自負している。
 トゥーレにある協会のオリジナルに近づけるのに、さらに数年かかったけれども、そのころには、わたしはイニシエイトからアプレンティスの階級まで駆け上っていた。
 わたしは20代前半で魔術師になれた稀有な人物として協会でも知れ渡るようになり、そうしてようやく自分だけの研究室をもつことができるようになった。
 わたしはようやく自分の目的である人形に没頭することができる環境を手に入れることが出来た。
 ルーンを学んだのも意外と役に立つ。
 アストラル投射、自然の摂理、別の体系の視点からによる世界観測。それは今までアオザキからの視点しかなかったわたしに与えられた新しい視点。
 だから、わたしは協会に属したことが悪いことではない、と考えた。

 そんなときのことである。

 わたしはとある魔術師に興味をもった。
 学院において、時折、師から弟子へと問う言葉。
 他の者達はそれぞれ魔術理論の完成とその栄光を誇らしげに語る。
 なのに。
 この背が高く暗く陰鬱な男だけがこう返答した。

 “何も望みません”

 他の者は笑った。欲がない、と――。
 しかしわたしの体に電撃が走った。
 それは“畏れ”だった。
 これほど鋼の意志をもつ男に会ったのは初めてだった。
 それから、わたしはこの男――荒耶に興味を持った。

 しかし彼と接触するのは困難だった。
 わたしも自分の工房を持ち、一人前の魔術師として名を馳せたころであり、なによりもわたしも彼も魔術師だった。
 ただ自らの目的のためだけに行動し、関係の無いことには脇目も触れない。ただひたすら自分の目的――すなわち魔術を魔法に高める――に邁進する存在。
 他を排除し、除外し、消し去って、ただ己の完成だけを目指す存在。
 それが魔術師というもの。
 しかしその鋼のような意志をもつ男に興味がつきなかった。
 それだけの強い意志に惹かれたといってもいい。
 わたしはそんなにシャイな方ではなく、ズバスバものをいう方で敵を作りやすいことはわかっていた。なのに、なぜが彼に声をかけるのは躊躇われた。


◇     ◇     ◇

 わたしが魔術師の遺品や掘り出し物探しのために出ていたオークションに参加していたときのこと。
 魔術師の遺品というのは実はけっこう出回る。こんなご時世なのかどうだかしらないけど、魔術師であることを隠して普通に生活している人の多いこと。その結果お爺さんお婆さんの遺品という形で価値がありそうなものが流れてくる。もちろん、自分の弟子もなく、死亡したことを考えて、遺品はすべてオークションに。お金はすべて寄付して、という遺言を残す者もいる。
 だからわたしはオークションの出展品を確認し、掘り出し物があれば参加して落札する。まぁこういうガラクタにお金を出すのは少ないから安くつくことが多い。けどそれだけではないことが2つある。
 その逸品の価値のわからぬお金持ちが欲しくて吊り上げてしまう場合。もうひとつは同じ魔術師が参加している時。そのときはお互いの研究のため、しのぎを削る羽目になる。今回は蒐集家の集めたギヤマン。作る過程の難しさもあるが、今のガラス製造技術は優れすぎて不純物がまじらなくて再現できない不可思議なものが多い。そして呪物として使われてきたもの。これを手に入れないで何を手に入れるというのでしょう。わたしがわくわくして、貯金を3,000ポンドも降ろしてきた。本当は信用のためにも小切手をきるのが一番だけど、ついついわけのわからない金額を書きそうになるからやめた。そんなことは一度だけでこりごり。

 わたしが会場へ入ろうした時のこと。

「それはラグのルーンだね」

 そういって話しかけてきたのは、なんていうか派手な男だった。
 金髪碧眼のゲルマン特有のかぎ鼻をした白人の男性。
 それだけならば目立たない。しかし彼は赤いコートを着ていた。赤も赤。毒々しいほど、目が痛いほどの鮮烈な赤。赤がよく似合うのは美形である。彼は美形だった。派手な服を着てもそれに飲まれることはないだけの美男子であった。
 わたしが黙ってその人を睨んでいると、歯を見せて笑いながらアメリカ人のようにおおげさに笑う。

「ミス・アオザキだね」
「……そうよ」
「お初にお目にかかるが、私の名はアルバ。コルネリウス・アルバという」

そして軽く会釈。

「お見知り置きを、レイディ」

 わたしはしばし呆気にとられた。外見も派手だが中身も派手。だいたい――。
 思っていることがそのまま口に出てしまった。

「レイディってわたしはなんの称号もないけど?」
「ははははは。そんな普通の人のようなことをいうな。アオザキ」

 もうミスもミズもつけずに、もう呼び捨て。なんて人よ、まったく。

「……で、そのコルネリウスとか、アルバとかいう人がいったい何のよう?」
わたしはぐるりと手をふって、ここがオークション会場であることを示す。名士たちがこちらをみたり、コホンと咳払いして注意していたりする。

「ははははは。人の視線など気にするなよ、アオザキ。他人の視線など」

「……そう。あなた、ね――」

 こんな男に聞き覚えがあった。わたしと同じ人形師。同じ学院に属するわたしと比較されるたびに名前が出てくるので、ちょっと調べたらすぐにわかった。
 シュポンハイム修道院の次期院長。
 赤い法衣を着ている。
 魔術師コルネリウス・アグリッパを祖とする。
 すべて自分から言いふらしているとか。ようは俗物。オカルトの語源の意味をしっていれば、自分への呪詛をよけるためになるべく隠匿するのが常だというのに。……それとも自分の技にそれだけの自信があるのかしら?
 齢は30代半ばだと聞いているのに、目の前の男はまだ20代、しかも前半といったところ。どんなにうまく化粧してもSFXなどのメーキャップを丁寧かつ繊細にしないかぎり、その年齢はわかる。手や首の皺には年齢が現れるのだ。そこまできちんと隠したのならばまだしも、どうやらそうではない。本物の皮膚のよう。人形師のわたしの目を誤魔化しきることは出来ない。

「ふぅん、次期院長が何の用かしら?」
「おお、アオザキ。君が私の名を知っているだなんて。光栄だよ」

 嫌味もつうじないなんて。さらにいちいちオーバーアクションで話すのはよしてほしい。
 しかもなれなれしくわたしの肩に手をかける。手を払おうかと思うけど、やめた。面倒くさい。不快感の方が面倒くささをうわまわったら払うだろうけど。

「また、あとで」

 わたしはすぐに手を振り払い――思ったより不快感がこみあげてくるのが早かった――会場へと入った。

 静まりかえり、オークションが始まる。本当ならば代理人をたてて行うのだけど、わたしは実物を見たくて参加している。というのは建前で、代理人を雇うお金もないというのが本当のところ。
 そして目的のギヤマン。最初は300ポンドから。
ゆっくりとした小競り合いがはじまるが、わたしが1,000ポンドの値をつけると、声が止まる。これでおしまい、と思うと――。

「1,200ポンド」

 男の声に視線が注がれる。赤い法衣をきた男――コルネリウス・アルバだ。

「1,300ポンド」

 すばやく声をあげて、競る。

「1,400」
「1,600」
「1,800」

 どんどんせり上がってくる。
 あの男、わたしに喧嘩を売っているの? ふーん、そう。
 売られた喧嘩は買うもの。わたしは長い黒髪を梳いた後、いきなり2,500と言う。
 会場にざわめきが走る。当然でしょう。あのギヤマンの骨董品的な価値および美術品的価値は800ポンドがせいぜい。なのに2,500。みんなの視線がわたしに集まる。
 ここではこういったガラクタを買い付けるバイヤーか好事家と思われていて、ミス・アオザキか……というひそひそ声が聞こえてくる。

「3,000」

 アルバの声。
 会場にどよどよとざわめきが走る。
 な、な、なんていう金額を言いましたか、この人。
 わたしの持ち金は3,000。だというのに。というのに――。

「3,100」

 わたしは立ち上がって言う。顔はアルバの方。
 でもアルバは仕方がないといった表情を浮かべ、3,200とのたもうた。
 頭がくらりとする。視界が悪化する。
 このままひくのも手よ、と思いながらも。本当に思いながらも。

「3,500」

 自分でも卒倒するような金額を口走っていた。
 しかし。

「3,800」

 目の前が真っ暗。
 世界がすべて闇に包まれたかのよう。
 体がわなわなと震えていた。もぅ駄目。そう思った。

「4,000」

 でも口は勝手に開いて言葉を発した。
 口が勝手に動くとはこのこと。
 アルバはやれやれといった顔で口を噤む。

「ではいませんね。ではこのギヤマンは4,000ポンドでミス・アオザキに落札されました」

 拍手が起きる。でもふらふらだった。
 食事はマーガット女史のところにでもころがりこんで……いえトニーの食事の誘いを一度くらいなら受けようかしら? あぁ気に入らなくて断る予定だった仕事を引き受けて……あと1週間以内でつくる人形を明後日までに作って即金で貰って……などと俗物的な事柄に追われてしまう。
 でも、まぁいい。生きていれば研究できるし。ギヤマンが手に入ったし。
 わたしは小切手にありもしない金額をかいて、急いで銀行に入金しようとすると、あの男、わたしの邪魔をしたくそ忌々しいヤツが立ちふさがった。

「負けましたアオザキ」
「……何の用?」

 今さっきよりも幾分剣呑な声。でも気づかないのか、笑っている。
 バカでしょ、この人。

「いやせっかくプレゼントしようと思って頑張ったのだが、やられたよ」

 その言葉に殺気ではなく殺意を抱いた。
 あれだけのお金があれば、水銀が100オンスは買えたのに!

「ははは、アオザキ。そんな顔をするな。チャーミングでビューテフルな顔が台無しだぞ」
「あなたには関係ないでしょ」
「いやいやこんなことを話すつもりではなかった。失敬失敬」

 このわざとらしい態度は大物ぶりたいのだろうか? それとも地なのか?
 態度ならば凡俗なヤカラだし、地ならば救いようがない。

「君と一緒に研究について話し合いたいと思って」
「お断りします」

とりつくしまもないとはこのこと。こんな凡俗のヤカラとつき合っているヒマなどない。
 アルバの顔が歪む。背の低い小娘とおもっていた相手からの通例なしっぺ返しにひきつったような顔を浮かべた。がそれは一瞬のこと。

「はははは、キツいなアオザキは」

大声で笑う。そうでもしないと自分のささやかなプライドが保てないとは弱小な。

「これからパブでもどうだい」
「では失礼します」

 会釈して慇懃無礼に立ち去ろうとする。本当ならばこんな礼儀などつかいたくない相手だけど、学院での立場を悪くしたくない。あぁ他人の目を気にできるだけ心にゆとりがあるということか。

「ア、アオザキ。君にあわせたい人物がいる」
「また今度――」

そういってきびすをかえそうとした時、アルバの声がわたしの体を縛った。
 今なんて――。

「荒耶宗蓮という君と同じ日本人さ」
「……」

 振り返ると下からいぶかしげに睨む。
 するとここが弱点だと気づいたのか、赤コートの男は余裕の笑みを浮かべる。その笑みが癪に障る。

「パブで待たせてあるんだが、くるだろう、アオザキ」
「……えぇ」

 選択肢はなかった。ここであの鋼の意志をもつ男に会える。餌だとわかっているのにつられてしまう。







 ホワイト・ハート。白鹿亭の名をもつパブにたどりついた。
 木製の扉も壁も、すすけて、磨き込まれつややかな光沢を放ち、年代を感じさせた。
 英国の古きよき伝統といったところ。
 アルバは扉をあけてくれるので、わたしはすまして入る。まぁ英国で暮らすということはこういうことだから、誰があけたかなんては気にしないことにしている。
 カウンターがあり、テーブル席が4つ。狭いのか広いのかわからないぐらいの大きさ。でもここのマスターと知り合いになる身内の集まりのようなパブには、ちょうどよいのかもしれない。
 視線を巡らす。すぐに見つかる。一目でわかった。
 陽気に談笑し騒いでいるバーの片隅に、その男はいた。世界のすべての業を背負ったかのような苦渋の表情をうかべた真っ黒な男。黒い髪、黒い瞳、黒い服。いや――黒よりも黒い色。なのに艶のある色。
 漆黒。
 それがこの男の印象だった。

「ようアラヤ。つれてきたぞ」

アルバの声にただ頷くだけ。

「初めまして、ミスターアラヤ」
「うむ、お初に、蒼崎」

 流暢な日本語の発音に、この人が日本人なのだと実感した。

「マスター、サイダーだ」

 アルバの声にぶっきらぼうなマスターがむすっとした顔のまま瓶を三本とグラス。
 アルバはグラスのふちをそっと撫でて、はじきグラスを楽しむ。
 どうやら見た目重視らしい。どおりで。わたしは合点がいく。若々しい姿も赤いコートもすべて自分を飾るためのもの。……ほんとうにどうしようもないヤカラ。
 そしてそっと荒耶を見る。深く沈んだ瞳は何を移しているのかと疑問に思う。
 この人の目には目の前のパブも、木製の机も、アルバも、そしてわたしもうつっていないに違いない。
 見ているのはなんだろう――?
 その瞳を表現したい。
 ひとつの彫刻や絵画で表現できるかどうかわからない『なにか』を見つめるその瞳は、とても綺麗、だった。
 その全世界の苦悩を背負ったような厳しい顔つき。暗くよどんだ顔。
 わたしはしばしその顔を観察した。いつか、このような苦悩をこめて悲哀とそして強さを表現しようと思って。

「アオザキ」

 低い、でもはっきりとした声。
 その声に痺れる。
「何かしら?」

 その深く苦悩にゆらめく瞳はわたしを見据える。深く、深く、どこまで深く――まるでわたしの心の奥底、魂にふれるばかりに――。

「――そうか」
「意味ありげね」

 わたしは逆に見返す。
 疲れ切った男の顔。でも疲弊しきっているというのに、その瞳は、その目はまだなにかを含んでいた。強く固い『何か』――。
 それは強い意志。
 鋼のような意志。
 しばしその意志に見とれてしまう。

「なにをアラヤに見とれているんだい、アオザキ」
「誰がですか」

 この俗物のからかいを含んだ声にわたしは鼻を鳴らして抗議する。下品なこととして礼園時代には絶対にしなかったこと。でも魔術師として人形師として生きるようになってから、わたしは少しずつこういう表現をするようになったと思う。それが堕落なのか、変革なのかわからないけど。
 アルバは雫に濡れた瓶をナプキンでつつむと、注ぎ始める。
 甘い林檎の香りが漂う。芳醇なのに、どこか青く未熟なような、あの香り。
 そしてまずはわたしの分を注いでくれた後、自分の分を。荒耶は瓶のまま。

「まぁまずは乾杯だ」

 そういってグラスをとる。荒耶も瓶を掴む。どうやらラッパ飲みらしい。わたしもグラスをとる。
 チン、とグラスと瓶が鳴る。
 うん、いける。
 この林檎を発酵させたサイダー――日本ではシードル――はほんのり甘くおいしい。何杯でもいけそう。アルコールの刺激が林檎でさっぱりと洗われて心地よい刺激だけが舌の上で踊り、口の中が清々しいほど。
 思わず顔がゆるむ。人間おいしいものを口にすると顔が綻ぶものだ。チラリとみると、アルバも笑っている。荒耶は……変わらない。あの苦渋にしかめた顔のまま。でもその瞳が少しだけ和んだ光を浮かべている気がした。

 目の前にはソーセージなどのつまみ。そしてエッグ・マヨネーズとベイクド・ポテト。そして人参とコーン。わたしはまだましなソーセージの類をたべる。エッグ・マヨネーズなんてわたしにもできそうな料理。
 ゆで卵にマヨネーズをどーんとかけただけのもの。てんこ盛りのマヨネーズの下にゆで卵が2つ。なんていうか、最初みた時、笑ってしまった。こちらのマヨネーズは日本のとは違い白身も使うから味は薄くなんていうか物足りないしコクがない。

「……でわたしを呼んだのはどういう理由なわけ?」

 わたしはある程度ソーセージをたべてから、ようやく切り出した。このまま2名の前で食事しているのもバカらしい。

「短気だね、アオザキ。食事はもっとゆっくりと楽しんで……」

 わたしがどのような食事をしようがあなたには関係ありません!
 思わず叫んでしまいそうになる。
 それを堪えて。

「研究には時間がかかるからさっさと進めたいの」
「なるほどね」

そういってサイダーではなく、ビールを飲むアルバ。

「ふむ、『花を抱く華』はとても素晴らしかったよ、アオザキ」
「どうも」
「君は人形師だ。実はわたしもそうなんだ」
「そうですか」
「おやおや、わたしをただの魔術師だと思ったかね。わたしは古い血統にあぐらをかいているようなヤカラではない。きちんと成果をだし、何時か「 」に辿り着くことを求めているんだ」

 わたしは黙っていたが、饒舌にはうんざり。
 自慢話は弟子にでもしなさい。

「蒼崎。貴殿は人間をどう思う?」

低く地の底から聞こえてくるような声。

「そうね――人形師としてならば、人間は「肉体」と「魂」と「精神」でできているわ」
「――ふむ」
「『精神』に関してはすでに魔術でしかないでしょ。AIという概念が生み出された結果、いつかは科学でつくられてしまうことになるわ。精神も環境とまわりの反応によって形成されるものであることはすでに20世紀の初頭の心理学で説明されてしまったしね。魔法として達することができるのは「肉体」と「魂」だけ」

 わたしはつい饒舌になった。アルバと同じというわけではないけど、魔術師とは本当はこういう者。実際に自分の成果を他人に説明したいという自己顕示欲の強いヤカラばかり。これはわたしもそう。

「では肉体と魂について考察するけど、肉体はただ手足がついていればよいというものではない」
「そう」

とアルバは口を挟む。

「人形は人の形である。すなわち原型だ。すべてのアーキタイプ。源。それは「 」に繋がる。そうだろう、アオザキ」

 わたしは頷く。

「ロボットという概念もあるけど、あれでは肉体とはいえないでしょ。工業品。マスプロダクションモデル。魔術とはまったく違う存在。では原質的な、本質的な意味合いでの肉体とは何か――」
「神の御技、というわけか」
「ご名答。どの人類の神話にも人類創造があるわ。それはすなわち、神代のエーテルが世界に充満してきたとき 、そういう認識があったということ。各部族ではなく、人類全体としての神話。聖書では6日目のこと。日本ではイザナミ、イザナギの国造りの神話。中国では混沌をなおした太西母の逸話。儒教での道。太極から両儀――すなわち男と女へ。アフリカでは土をこねてつくった人形の話。数多くの神話が残っているでしょ」
「――そこに辿り着きたいか、蒼崎」

 荒耶の声。冷たく心に響く。
 わたしは頷く。そのためにここまで来たのだから。そう――わたしは「 」に至りたい。でないと――。

「そうよ。わたしは魔術師だから」
「わたしは魂の原型を求めている」
「魂?」
「そう。わたしは魂が霧散する時、「 」に至ると考えている」
「あぁ――魂は涅槃に戻るということね」
「そのとおり」
「そこでだ、アオザキ」

 アルバは笑う。

「どうだ。ここはひとつ研究グループを作らないか?」
「グループ?」

 突拍子もない申し出。でもその有効性はすぐにわかった。

「そうだ、アオザキとこの私は人形づくりに。アラヤは魂の探索に。そうすれば源初の人間が生み出せると思わないか? そうすれば……」
「……たどり着ける。必ず」

 わたしは頷いていた。願ってもいないチャンス。

「ではA∴A∴Aの結成だな」
「……なに、それ?」

 突拍子もないアルバの言葉にわたしはつい聞き返してしまう。

「だから、アルバ、アオザキ、アラヤの頭文字をとって結社としてやった。発音はアーだ」

 どうだ格好よいだろう、という顔をするアルバに、内心ため息をつく。魔術結社作りでも楽しむ気かしら?
 荒耶は何の反応も示さない。
 わたしも無言。
 一人、悦にはいるアルバ。
 ……まったく。

 そうしてお開きにして、テームズ川まででる。
 ビックベンが見えるところ。暗く陰鬱な天気。今にも雪がふりそうなほど。
 涼しいというより凍てつくような風が、酔いで火照った肌に心地よい。
 ほろ酔い気分を楽しみながらの散策は、夢見心地で楽しかった。

「なぁアオザキ、アラヤ。記念に写真をとろう」
「……は?」

 アルバの思考にはついていけない。
 しかしアルバは近くの写真屋さんに声をかける。

「ほら、早く早く」

 アルバは強引に、わたしと荒耶を並ばせる。うしろにはビックベンが見えるように立たせる。
 アルバ、わたし、荒耶とならぶと写真屋さんは「笑ってくださいね」といってシャッターをパチリと切る。
 つい微笑んでしまうのは、日本の文化なのだろうか? 
 礼園ではプリクラというものを話でしか聞いたことなかったけども、わいわいと楽しく撮るものだという。
 ……うん、悪くない。
 写真屋さんはわたしたちそれぞれに1枚ずつ焼いてくれる。
 ビックベンを後ろに三人の姿は、どこか可笑しかった。
 派手な赤いコートの男、漆黒の陰鬱な男、そして真ん中のわたし。
 その中のわたしは知らない蒼崎橙子だった。
 その中の彼女は微笑んでいた。
 艶やかに、これ以上なく――。

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