「もぅうんざり」

 わたしはとうとう声を出して抗議した。
 でもマーガット女史は気にせず、マッシュポテトを山盛りに盛りつける。どんぶりで3杯はあるかと思うほどの量。

「でも、ットーコ」

チャーミングなウィンクをしながら、まるでだたをこねる孫に言い聞かせるように言う。

「食べないと大きくならないわよ」

 わたしは嘆息した。
 英国の料理はひどい。
 味にうるさいつもりもないし、舌が肥えているつもりもない。
 ただ――まともなものが食べたいだけ。
 マッシュポテトかフィッシュ・アンド・チップス。味の方はオール・オア・ナッシング。
 すごく濃い味付けがさもなければまったく味付けされていないかのとぢらかだけ。それを同じ皿に出されるのだから、たまらないわ。料理にかかっているソースを野菜にからめればいいのかしら? なんて最初は思ったけど、混ぜてもダメ。というか混ぜるな危険っていう感じ。
 まったく。
 でもマーガット女史はおいしそうにもりもりとマッシュド・ポテトを食べている。太っているのはそのせいじゃないのかしら?
 この学院では寮というものがあるけど、そこには入らない。エーテルをわざと満ちさせて実験やらなにやらが成功しやすい環境などいらない。そんなの外の世界に出たら役に立たない魔術になってしまう。外の、特にエーテルが希薄な場所で実験する方がより安定し、より実力がつくというもの。
 だから入らない。ホテル住まいなんてお金のないわたしにはとっても無理。だかせ下宿となる。
 そこで頼んでマーガッド女史のところに転がり込むことにした。
 まぁマーガット女史自身わたしの監視役および教師役ということもあって、アパートメントの開いている部屋をひとつ貸してくれたわ――家賃は支払わなきゃならないけどね。
 でもわたしの不満を気にすることなく、マーガット女史はにこにこと笑っている。きちんとアストラル投射したりできるところをみればきちんとした魔術師なのだろうけど、そんなところを微塵も感じさせない。もっともこのご時世に魔女だとばれたら大変だし。力を失うしね。
 同じアパートメントに住むことになっても、わたしのプライベートはきちんと守ってくれる。もちろんわたしも。というより、わたしたちは魔女だから。
 魔女の力の源は“神秘”。オカルトの語源でいうところの“隠されたもの”。しかも分野も違うし、わたしがルーンをどのように勉強してるのか、またマーガット女史がどんな魔術をやっているのかは尋ねることもしない。もし知られたら力が弱まるだけ。だからお互い不干渉が絶対の条件となる。
 くぅん、とペギーが鳴く。このヨークシャテリアのペギーはわたしたちの足下で食事をしている。
 ペギーが太っちゃうから決められた量だけで絶対にあげないでね、と女史のお言葉。でもペギーに与えられる食事の量はわたしと変わらない。というか、それでもたりなさそうにしているペギーは肥満しきっている。なんていうかころころと太っていて、悪い冗談だけど、女史の非常食に思えてしまうぐらい。
 女史はこのペギーを可愛がっていた。これ以上ないほど。お風呂に入れて洗ってやり、櫛でとかし、めかしこみ、いつもいっぱいのご飯。朝夕の散歩は欠かさない。また自由に出たりはいったりできるように、ドアを改造してある始末。
 まったく。まるで主人に仕える召使いのよう。愛犬家ってみんなこうなの? と聞きたくなるぐらい。まるまる太るわけだわ。
 それはともかく。

「ミズ・マーガット」

 わたしは抗議を再開した。

「わたしはこれでも18歳です。大人なんですよ」

すると爪先から頭の先まで丹念に値踏みされる。
そしてにっこり。

「わたしは12歳かと思ったわ」

 この言葉には英語圏ならではの侮蔑が込められている。そうまだティーズにもなっていなのに、という意味で、それがわかってわたしは上目遣いでにらみ付ける。そんな顔をしてもマーガット女史はかまわず、わたしにマッシュポテトを盛りつけるの。
 わたしの身長は165cmぐらい。日本人の女性としてはけっして小さくないというのに、英国人であるマーガット女史たちからみれば、どうやら『おちびさん』らしい。
 まったく。
 失礼ことに視線は胸に注がれる。
 わたしの胸は慎ましげで。でも英国人からみれば、なんていうかどうみても幼い、生育途中と思われるらしい。
 まったく。
 きちんと礼園で躾られたわたしは食べ物を残すことに罪悪感を感じる。きちんと出されたものを食べきらないと、なんだか悪い気がする。もちろん礼儀作法として少し残すのはわかるけど……こんなに残したら気分が沈んでしまう。でも残してもまたディナーに出されるんでしょうけどね。
 しばし悩んでから、残すことにした。
 主なんか、あんな偶像なんて――崇めていないけど、つい祈りの文句が口から漏れてしまう。
 そのまま、わたしはもう一度歯を磨いてから、大英博物館へ。
 そう。わたしはちゃんとキュレイター見習いとして雇われていた。
 週給300ポンドいくかどうか。でも表の仕事をもたないとならないし、また金銭を稼がなくてはならない。
 まったく。
 お金さえあれば……とつい思ってしまう。
 でもキュレイターの仕事はとても楽しい。
 今わたしは礼園の制服を着てはいない。そもそもあれは声をかけられないためであって、仕事着としては向いていないから。
 今きているのはワイシャツにパンツというルックス。ここでスカートなんて邪魔だし野暮。長い髪は面倒だし邪魔だから後ろでしばるだけ。するとマーガット女史は、年頃なんだから、といってよく梳いてくれようとするが、断ることが多い。時間がなかったし、なによりくすぐったくて。そういう時にどう反応していいのか、わからないから。
 とにかく今は仕事に没入。キュレイターという仕事は、いわば演出家でもあるし雑用係でもある。それの見習いなんだから、もっと雑用ばかり。テレビでいえばADみたいなもの。ディレクターじゃなくて、アシスタント・ディレクター。あれやれこれやれとディレクターにいわれてこき使われる役目。でも現場で仕事ができるというのは、とても楽しい。このキュレイターには普通の人もいれば学院の者もいる。
 職員用入り口の警備員のボブに挨拶して入ると、まっすぐロッカールームへ。がやがやと忙しいのはいつものこと。おしゃべりのフランソワが英国と母国のフランスについての対比を声高々にのべているのを横で聞きながら、職員の腕章をつける。わたしのロッカーには小さな小石が山ほど。他の人はわたしが小石集めが趣味だと思っていて、綺麗な石をみつけると持ってくるこまめなトニーもいる。……もしかして、わたしに気があるのかな? でもわたしがこれを集めているのはルーンストーンのため。ようは魔術の勉強。石を身につけ、常にルーンに意識の一部を割くための訓練。
 そしてすでに来月の企画会議。
 今はたしかに2階の木乃伊展をやっているけど、それが終われば次はどうする? という話からはじまる。イースターだから……とか、古代ヒッタイトはどうだ、とかもぅ言いたい放題にやりたい放題。みんなやりたいこと、知らせたいこと興味があることを言い合って、その中からチーフのジョンソンが鼻をこすりながら指し示した企画が通る。それはやはりもっとも集客率が高そうなもの。ここ大英博物館は無料だけど、やはり観光名所でもある。そうここは英国を代表する名所。ゆえに手を抜くことは一切許されない。……しばしば妥協があるのは仕方がないけど。
 夏休みには日本人がくるから浮世絵や日本絵画はどうだ、という意見もあるぐらい。そして決まったらpop作りや必要な情報収集。何を中心でいくか、観客の動線はどうか? 大英博物館にある資料で充分か、などなどなど。
 もちろん、いかにして効果的に見せるか、はとても重要。照明の位置、観客の立ち位置、メインテーマと配置の関係、ポスターの手配、写真撮影、チケットの作成などなどなど。
 いくら学んでも足りないし、いくらやってもやり足りない。まだまだ未熟だということを痛感させられる。
  わたしの意見もしばしば採り入れられたけど、他の先輩方がよく採用される。わたしがなぜこのことを思いつかなかったんだろう、ということをズハリやる。さすが先輩方というところ。
 食事は簡単なもの。やっぱりフィッシュ・アンド・チップス。
 うんざりだけど、これしかないのだから仕方がない。意外とおいしいのはウィンナーやソーセージ。これは絶品。マトンやポークをきちんと粗挽きしてスパイスをきかせて旨味たっぷり。肉汁があふれるぐらいにジューシー。ここまでおいしいものができるのに、なんで他の料理はダメなんだろう、と思ってしまうぐらい。
 午後のお茶はみなでゆっくり。日本で言えばおやつの時間。紅茶を入れて、スコーンや軽い談笑を楽しむ。はずなのだが、みんなで今どこまでいっていると進行状況の確認の場に。英国人の午後の紅茶というイメージじゃないところがなんとも。
 週末はしばしばソーホーにある日本料理店へ。日本人がけっこう多い。日本が恋しくて、というわけではなくて、この英国の大ざっぱな味付けに嫌気がさすから、週末は自分へのご褒美として行くことにしている。その分お金がかかるのは、まぁ仕方がないこと。
 旬の素材がきちんと入手できないのは残念だけど、山盛りのマッシュポテトにくらべれば一千、いえ一億倍もマシ。でも一度マーガット女史を連れてきたら、味が濃くて食べれないと不満をもらす。どうやら英国人と日本人では環境による味の差は意外に大きいらしい。
 そしてきちんとチップを渡す。チップは日本にはないけど、意外といける。きちんとしてくれた人にはご褒美として少々多めに。悪い人には一切あげない。でもこのチップが副収入源……というより主収入というのがなんとも。だから安い給料でもやっていけるんだけど、キュレイターにチップというのは難しいので、安週給でこき使われる日々。
 そんな安週給でも貯まると、すぐに散財。オークションに参加できるほどのお金はない。あればすべてを投入したっていいのに。でもお小遣いはすべて魔術関連の掘り出し物に使う。お金がなくなっても路頭に迷わないようにマーガット女史のところに転がり込んだのだから。
 古くからの品物は想念が宿っている。
 天の気、地の気、それらを吸い取り、自然の一部と化す。そうしてモノは宿り、力となる。そうしたものはその存在が確立している。意志の強い人間などにカリスマがあり人々が魅了されると同じように、そういった逸品は力があり、人を惑わせる。気の弱い人間など一発。だから力のある刀は妖刀なんて呼ばれる。悪いのはそれをもった人の心の弱さなのに、気づけない。
 そういったものをただむやみやたらに集めているわけではないわ。きちんと意味と象徴、力の方向性を考えて蒐集している。でないとわたしの部屋の結界だけでなく、マーガット女史の結界も揺るがしてしまって、アパートメントから追い出されてしまうし。
 だからマーガット女史はガラクタの山なんていうけど、これはわたしなりのルーン魔術研究。
 キュレイターの仕事が終わると、よく一緒に、なんて声を掛けられる。東洋人しかも日本人であるということが珍しいのか、それともこの長い黒髪が珍しいのか、よく声が掛けられる。たいていはパブへ行こうというものだけで、わたしは断る。すでにわたしが断ることが有名で、日本人は奥ゆかしいと思われたり、鉄の女みたいだな、といったり、色々。それでもトニーは常に週末はわたしを誘う。でも一度もいったことはない。
 そのまま帰ると、自室で、明け方までルーン魔術の勉強。
 ルーン文字とはもともと北欧の主神オーディンが得たもの。
 ここにも色濃く性と魔術に関しての考えがある。北欧では魔術は女の技。日本的にいえば陰の技とされていることが特徴。だから魔女は左手を用いるし、そもそも魔女と性別を含む書き方をする。
 なのに主神オーディンは片目を失ってまで知恵の泉を飲みほすほど知識に対しては貪欲な神。さらに知識を得ようとして、女の技を、フウスアルクと呼ばれるそれを得るためにルーン魔術を得ようとした。
古エッダには以下のようにある。

「私は、風の吹きさらす樹に―――
九夜の間、槍に貫かれながら、私自身に我が身を捧げて、誰もどんな根から生えているか知らぬ樹に釣りか下がったことを覚えている。
私はパンも角杯も恵んでもらえず、下を伺った。
私はルーン文字を見つけ、うめきながら読み取り、下へ落ちた」

 すなわち片目の主神オーディンは死に瀕することによって、「 」へとつながり、女の技を獲得したといえる。
 しかしこれはすでに旧く叙情詩に残る逸話で正解なのかどうかわからない。
 さらにこれは神代の話だということも注意点。神代とは神秘が神秘でなかった時代。それが常識だった時代のこと。世界がエーテルで満ちていた素晴らしい時代のこと。そのとき、この死を瀕して助かることも、「 」に接触することも容易だった時代。それゆえ偉大な魔法が、それこそモーゼの紅海を割ったりするような“神秘”がありえた時代だということ。
 ルーンを使うには、それ専用の魔術回路を作らなければならない。わたしはまずこれから始めなければならなかった。
 ルーンは文字であり、記号である。それだけでは意味がない。ルーンひとつひとつがこのような形になったのはきちんと理由がある。天の流れ、地の流れ、水の流れ、火の流れ。これらすべての流れを表現していくと、どんどん単純なものへと変化していく。
 ルーンを描くとはそういうこと。天地の流れをそれに変えるというもの。その形のひとつのやり方、現れ。そしてそれがルーン。
 たとえばオスのルーンはオーディンのルーンともされ、神秘的な助言、天啓、指導を得る、というもの。その流れは水から地へ、そして天へと昇り、降り注ぐ雨となっている。神秘的な予言や啓示は上から降ってくるものという象徴。そしてそれは神代のエーテルが集められるということで、「 」を透かしておぼろげに視るということ。
 人間の肉体は地水火風で出来ている。それらのものは第五の物質である賢者の石によって統合され、エーテルによって支配されている。
 肉は地。
 血や胆汁は水。
 体温は火。
 息吹は風。
 人間の肉体には世界が封じられている。小さな世界、小さな宇宙を形成している。それを外の世界とリンクさせて、エーテルを通じて読みとる。それがこのオスのルーンというもの。
 そのためにはルーン専門の魔術回路が必要。だからわたしは今必死にその魔術回路を形成している。
 ルーンはようは「見立て」。力の流れを文字として表している。
 よくひび割れに人の顔をみつけてしまう。それは心理学的な問題だとされているが、そう思えばそれは石でありながら人の顔なのだ。その意味づけ――ようは「見立て」がとても重要。
 見立てによって、そのひびわれには「人の顔」という属性が与えられ、力が集められる。
 では、人ではなくて、魔力や好運といったものは?
 そう――それがルーン魔術の基本。ルーンの文字ひとつひとつは見立て。普通の人にはただ意味ありげな文字にしか見えない。それをなんであるか「見立て」られるかどうか? それがまず最初。
 そうしたら魔術回路の形成。オスのルーンを描き、凝視する。そして目をつむる。残像が残るそれをよりはっきりとイメージする。消えかけているところ、ピントがぼけているところを補完し、はっきりとした形にする。崩れたらやり直しだし、日に何度もやるものではない。
 そして目を開けていてもその残像が残るようにする。目という視力を「世界を知る」という魔術機関として活動させる。目の中には何もないのに、必要な時にそのルーンが浮かびあがるようになるまで行う。  これが第一段階。そうすることによって、自分のアストラル体にルーンを刻み、覚え込み、それに沿った魔力の流れを形成するまで、やり通さなくてはならない。信仰と同じ。揺るぎない信仰と同じぐらい。ルーンに対しての信頼、いえ信仰を得ない限り、魔術回路など形成されることはない。
 人気がなく、誰にも学んでいないルーンを専攻するのはある意味無謀なこと。なのにやったのは……この魔術学院に入学するため。失われつつあるルーンをきちんと学び整理し資料として残せる者が学院として欲しかったから。
 だからわたしはルーンを専攻することにした。けれどここまで大変だったとは計算外。異端のアオザキの魔術の法式でも音を上げるぐらいきつくて、一般の魔術師ではより困難な学問であることは確か。
 師といってもマーガット女史はルーンは専門外。わたしの魔術の基本的な所を教えてくれるだけに留まる。わたしのアオザキとして偏ったところを、この学院の基本と照らし合わせて足りないところを補完するようなカリキュラムを作ってくれている。それはとても感謝している。
 アオザキの系統は「風」に特化しているから、地に無頓着すぎるとの女史の弁。まぁそうなのかもしれない。
 まったく、ややこしいったらありゃしないわ。
 とにかく夜が明けるころまでわたしは基礎魔術のカリキュラムとルーン魔術に追われた。
 そして仮眠をとる時間になると、ペギーを抱きかかえ一緒にベットに。ペギーは抗議の声をあげようとするが、喉をなでてやると、すぐに静かになる。ペギーは大きくて重いんだけど、柔らかくてふわふわしていて暖かい。
 ぎゅっと抱きしめて、日向で干した藁草のような臭いを嗅いでいると、すぐに寝付けた。
 だから夢を見ない。
 ただ深く仄かに明るい黄昏の世界へと意識が落ちていくだけ――。
 そして起きると、すぐにキュレイターとしての仕事に。
 若さだけで走ることが出来た。だから、夢も見なくなった。
 急がして大変で、でも楽しい毎日。
 蒼崎橙子の毎日。
 そうしているうちにキュレイターとしての名もあがってきた。
 わたしの制作物である。ミニチュアからはてはポップまでわたしは他の人にはできないような繊細できめ細やかな出来の作品を仕上げる。これにはチーフも唸り、わたしに依頼してくるようになってきた。
 当然。わたしは人形が作りたくて――ここに来たのだから。
 人形といっても、バービー人形とかではない。ちゃんとした『人間』。
 それがわたし蒼崎橙子の目的。そのためのルーン魔術なんかも学んでいるのだから。
 だた仕事だからという理由で押しつけられる雑務にうんざり。
 アトリエをもって引きこもりたい。そこで自分の好きなことに好きなだけ打ちこみたい。しかしまだイニシエイトのランクであるわたしにとっては協会からの手当も期待できない。またキュレイター見習いのうちでは博物館からも手当などありえない。
 まったく。
 わたしは壊れたマネキンをみて、ひとつ閃いた。失敗したらなんて、思わない。絶対に成功する。確信していた。
 なので、わたしはいきなり有給をとった。もちろん裏にある協会には実験のため引きこもりたいという理由をいってあったのであっさり許可がおりる。
 そしてわたしは1ヶ月引きこもってひとつの作品を作った。
 満足いくかどうか、と聞かれればやや不満足。材料が絶対的に足りない。でも――わたしの初めての作品公開。
 博物館ではなく、小さな人形展にわたしの作品を出展すると、人は色めき立った。
 題名は「花を抱く華」。
 可愛らしい、でも憂いにみちたどこか大人びた表情をした女の子が花束をぎゅっと抱きしめている人形。
抱きしめながらもその右手の人差し指はぽってりとした唇を封じるかのように立てられていて――なにか秘密を黙っていて、と言っているかのよう。
 その繊細な作りにはいつものように拘った。まつげ、目、唇、ほほ、髪の流れ、体の流れ、動き、ねじり。そういったものにすべて嘘偽りのないように。
 作者はただ TOUKO とのみで――。
 でもとの名前は人形作りの中に深く静かに浸透していった。
 それからわたしの株がひそかに上がった。
 ギリシアの古代アテナのミニチュアで活き活きとしている人形たち。そういったものをわたしは制作し、大英博物館で展示し好評を博した。
 また魔術師にとって成功なミニチュアは依り代として求められた。まぁ気に入った依頼のものしか作らなかったけど。
 こうして少しずつわたしの名は広まり、お金も少しずつだが蓄えられるようになった。
 そうして――。
 数年の歳月が過ぎた。

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