/2.


「―――何、考えてんですか! あんたは、一体!!」
結局、そう叫ぶまでに、5分ほどの時間が必要だった。
僕の言葉を受けて、ふむ、と橙子さんは軽く眉をしかめる。

「言葉が乱雑だぞ。黒桐」
「乱雑にもなりますよ! 一体、なに考えてるんですか!!」
今度ばかりは、気持ちを抑えきれずに、僕は机を叩いて声を荒げる。
しかし、その僕をなだめたのは、おなじく数分の忘我から復活したばかりの式と鮮花だった。

「落ち着け。幹也。馬の耳に念仏だから」
「…いや、それはそうだけど。でも。式」

「そうです、兄さん。どうせ、理不尽な返答しか帰ってこないんですから。時間の無駄です」
「それもわかってるけど、でも」

「……言いたい放題だな、おまえら」
不愉快だ、といわんばかりに表情を曇らせる橙子さんだが、
そんなことでは式と鮮花の言葉は和らいだりしない。

却って冷たい視線を向けて、二人は更に温度の冷えた口調で続ける。

「自業自得だ。バカトウコ」
「それともなにか、理路整然とした理由があるんですか?」
「当たり前だ。私の行動は常に理路整然としているだろう」
「問題はそれが所長の中で自己完結していることなんですけどね」
「それになにか問題があるのか?」

「「「あるに決まってる」でしょう!!」」

再び、見事にハモる三人の声。ついでに、机を叩く音さえも重なっていたりする。

「あ、あの―――」
さらに言い募ろうとする僕たちに、おずおずとかけられる声。
ひどく耳慣れない『自分の声』に視線を移した先には、
橙子さんの背後に隠れるように立っていた僕そっくりの「彼」の姿があった。

「み、みなさん、僕のために、喧嘩なさらないで下さい」
頬を赤らめ、かつ目尻に涙をためて、僕の形をした「彼」は訴えた。

……眩暈が、した。

いくら僕が橙子さんの人形の信奉者だといっても、
自分そっくりな人形―――しかも、喋って、動くような代物を
なんの断りも無しに作られる、というのは本気で勘弁して欲しい。

「彼」の目の前で、「彼」について文句をいうことは、
本来すべきことではないが―――甘い態度をとっていると
今後どんな人形のモデルとして採用されるか分かったものじゃない。、

そう覚悟を決め、心のなかで「彼」に詫びてから、僕は所長の机に手を置いた。

「所長が人形をつくるのに反対なんてしませんけどね。
 なんだって、僕と同じ姿にしたんです。
 しかも、僕とは全然性格が違うじゃないですか」
「性格も、同じ方が良かったのか?」
「いや、もっと嫌ですけれど」
「だったら、いいじゃないか」

「そういう問題じゃないでしょう!!」
「そうがなるな。
 大体、君と性格がズレたのは、体のモデルである君に問題があるんだ」
「は?」
言うことに事欠いて何を。

理不尽な言いがかりに眉をしかめる僕に、なぜか橙子さんは本気で非難するような視線を返す。

「君のあり方は境界線上を綱渡りしているようなものだからな。
 完璧に真似たつもりでも些細な要因が容易に均衡を崩し、結果として異端が出来上がる。
 まったく、見た目は平凡そのものなんだが、なんだってそんなややこしいあり方をしてるんだろうね。君は」
「おっしゃる意味はさっぱりわかりませんけれど、とりあえず、所長が
 理不尽な責任転換をしようとしていることだけは良くわかります」
「失敬な」
本気で、『失敬だ』と思っているように見えるのは僕の気のせいだと信じたかった。

「とにかく!」
張り上げた声に「彼」がびくり、と身を竦めた。
それが視界に入ったので、言葉を続ける声のトーンをやや落とす。

「……どういうつもりで、作ったんですか。彼を」
「その件なんだが、人形としては申し分ない出来に仕上がったんでね。
 とある筋に、まあ、召使として引き取って貰うことで話がついている」
橙子さんの答えは僕の問いの意図から僅かにずれていた。
しかし、そのことよりも発言内容の方がより問題だった…というか、悪質だった。

「引き取ってもらうって、あの、僕の姿形で、ですか?」
呻き声に近い僕の質問に、橙子さんの口元が吊り上がり、邪悪な笑みを形作る。

「眼鏡をかけていて、如何にも嗜虐心をそそるタイプの男性、というのがクライアントのご希望でね。
 加えて、眼鏡を外すと意外と美形というのも重要ポイントらしい。
 となると、身近にそういうモデルは一人しか居なかった。
 より、正確に言えば、あまりに該当する人物が、ごく身近にいた」
……世の中には、こうも聞くべきでない質問があったとは思わなかった。

とりあえずは、僕は橙子さんにとって嗜虐心をそそる人材らしいことは判明した訳だ。

「そういうモデルとして黒桐が適任なのは、お前達も納得だろうに」
式と鮮花に向けられた橙子さんのそんな台詞に、
あろう事か二人は納得したように頷いていた。

「それは……確かに、な」
「はまり役ですよね。それって」
「二人とも、納得するんじゃない!」
恋人として、あるいは兄として。
その尊厳をかけた叫びに、しかし僕の彼女と妹は、眼を見合わせる。


「でも」
「だって」
なにが、『だって』なんだ。君たちは。

つまり、ここの女性陣にとって僕という人材は嗜虐心をそそって止まない人材というわけらしい。
判明した事実、その2、だった。

……一度、人生についてゆっくりと考えるべきかもしれない。

「落ち込むな、黒桐」
落ち込む僕に、橙子さんは、眼鏡をかけている時のような、
やさしく、そして慈しむ声をかけてくれた。

「貶しているつもりは一切無いぞ?
 むしろ特定の趣味の人には、堪らないポイントなんだ。誇れ」
「……今ので、言いたい事は山積みに成りましたが、
 それは後日おいおい解決することにして、話を進めましょう」
今日の橙子さんの発言の数々に全て突っ込んでいたら、仕事が終わらない。
引きつる口元を抑えて、僕は最低限、理解したことを口にする。

「橙子さんが僕をモデルに、「彼」を作ったのはわかりました。
 その理由はまだ聞いてませんけどね、一端置いておきます。
 次に、「彼」の引き取り手が見つかったのも分かりました。
 いろいろと思うところはありますが、これも良ししましょう。
 それで、次です」
「ふむ。続けてくれ」
確認するために一度、言葉を切ると、橙子さんは鷹揚に頷いて先を促した。

「なんで、この話の流れで、僕が「彼の相手」なんてする必然性が出てくるんですか」
「ああ、それは『彼』の希望なんだ。
 売り飛ばされる前に、是非、お願いがあると言うんだよ」
言いながら視線を動かす橙子さんにつられて、僕も「彼」に目を向ける。

『もじもじ』。

その形容詞はまさに彼のためにあるのではないか、と思わせるほどの恥じらいの表情と仕草をみせる彼。
自分の姿でそういう態度を取られるだけでも、かなり強烈だったが、更に止めとばかりに、彼は口を開いた。

「こ、黒桐さんに―――いえ、黒桐さんを―――」

『を』?
本能が、『ニゲロ』と叫ぶ。

しかし、僕がそれを実行するより、「彼」が言葉を続けるほうが、早かった。
頬をあからめて上目遣いで僕を見て、その言葉を、「彼」は紡ぐ。

「だ、抱かせてください!!」


いっそ、気絶してしまいたいと思った。


いや、実際に意識は飛びそうになったのだけれど。
今この状態で意識を失うのは、あまりに危険だと告げる本能が、
かろうじて意識を体に引き止めた。

「そ、それは、抱擁する、という意味で解釈すればいいのかな?」
この期に及んで、とは思うが一縷の希望を込めて、震える声で尋ねる。
が、その希望は、上目遣いのまま、僕を見つめる彼の『本気』の視線によって打ち砕かれた。

「それももちろん、含まれるのですけれど・・・で、出来ればもう少し踏み込んで解釈していただけると」
どう、解釈しろというのだろうか。彼は。

「言ったじゃないか、黒桐。
 つまり、君と性交したいというのが彼の希望だ」

だから、なんだって僕がそんなことしなくちゃいけないんですか!!

そう叫ぶつもりだったが、僕より先に悲痛な叫びが事務所に、満ちた。
「兄さん―――!!」
泣くような、叫び。
振り向けば、悲壮な、青ざめた表情の妹が、僕と「彼」を見比べている。

「あざ、か?」
尋常ではない様子に、僕と式が駆け寄り、その手をとった。
ひやり、と冷たい感触。完全に、血の気が引いている。

「に、兄さんが、兄さんを――――」
「鮮花、大丈夫か? しっかり」
眼は焦点を失い、呟く言葉はうわ言のよう。
こちらまで血の気がひいて、乱暴に肩をゆすると、
不意に、鮮花の顔が泣きそうに、歪んだ。

「そんな、そんなの―――」
漏れこぼれる言葉、しかし、その瞳が何故か奇妙に熱を帯びて、
頬が、耳に急激に赤みが差した。

青から赤へ。

「ふ、ふけ―――ふ・ふ・ふ―――不潔――――あ」
見とれるほどスムーズに、冗談のように真っ赤に、その顔色が変わり。

パタン、と机に倒れ、臥した。

「きゅう」、なんて妙に可愛い声をあげながら。

「鮮花、鮮花?!」
「おい、しっかりしろ! 鮮花!」
「ふむ」
慌てて、肩をゆする僕たちに、鮮花の師匠は顎に手を当て、
しばし考え込んでから、冷静に事態を分析した。

「『禁忌』が、重なりすぎたか。
 兄が男を犯す。かつ、兄が男に犯される。しかも、女性の面前で。あげく、妹の面前で。
 まさに、『禁忌』のオンパレードだな。鮮花にとっては、まさにストライクゾーンど真ん中、か。
 
 ―――なるほど。ひとたまりも、あるまい」
「そんな、ストライクゾーンを持つんじゃない!! 鮮花――――!!」
橙子さんの解説に、僕はむりやり妹を引き起こして、その頬をぺしぺしと叩いた。

「鮮花! しっかりするんだ」
「あ、兄さん。そんな―――不潔―――でも」
「『でも』とか言うんじゃない! 鮮花、鮮花ぁあ!!」
おにいちゃんは、妹にそんな十字架を背負って欲しくなんか無いんだ。

「まあ、お茶目な馬鹿弟子は興奮で倒れただけだから放っておくとして。
 黒桐、結局、彼の要求を受け入れてくれるのだろう?」
「そんなわけ無いでしょうが!!」
叫んだ拒絶の言葉に、橙子さんの傍らに佇む「彼」は、哀しげに眼を伏せた。

「・・・ダメですか」
「悪いけど、僕にそういう趣味はない」
「そう…です、か」
ぐっと、悲しみに耐えるその表情はあまりに「女の子」していて、強烈な悪寒を僕にくれる。

いや、僕だって「そいういう趣味の人」を軽蔑するわけでもない。
ただ、問題は「僕の姿形」がそういう態度をすることであって。
つまり、全責任は橙子さんにある。

「そう―――ですか。そうですよね」
ちらり。
しばらく唇をかんでいた「彼」は、訴えかけるような眼差しを僕ではなく、橙子さんへと投げかける。

・・・激烈に嫌な予感がした。

「幹也人形君」
「はい」
「そんな名前を付けないで下さい!」
「いや、名前は人形だ。幹也は姓だ」
「そんなこと、訊いてるんじゃないです!」
「頭悪すぎるぞ、トウコ」
しかし、僕たちのツッコミなど柳に風と聞き流す所長は、
『彼』を招き寄せて、わざとらしく耳打ちをする。

「・・・幹也人形君。『嫌も嫌よも、好きなうち』。
 ちゃんとそう教えただろう?」
「はい! マスター」
「何を教えてんですか! あんたは!!」
「む、聞こえたか」
突っ込む僕に、しまった、とでもいわんばかりのリアクションを見せる橙子さん。
……声を潜めもしなかったくせに。

橙子さんの言葉に勢いづけられて「彼」はあらたな期待を瞳に宿して、僕に一歩にじり寄った。
「でも、黒桐さん。愛し合う男同士は、こうやって強引に求めるのがセオリーだと」
「その知識は歪んでるから、捨てなさい」
「でも」
「でも、じゃない」
・・・なにが哀しくて僕は僕自身にお説教をしなくてはならないんだろうか。

そんな奇妙な状況を作り出した橙子さんは、なぜか嘆くような視線を僕に向けた。

「そうは言うがね、黒桐。これは必要な作業工程なんだぞ。
 実際の性行為を通じて正しく快楽を得、かつ快楽を与えられる性能がなくては
 伽藍の堂製の召使人形として、世に出すわけにはいかないからな」
「そんなスペックは召使人形にはいりません。
 大体、クライアントの方、って男性なんですか」

「さあ、どうだろう? 少なくとも、私は女性と認識しているがね」
「だったら、男性同士の性交渉の性能なんていらないでしょう!」
「スペック表に乗せる項目は多い方がいいとは思わないかね」
「僕なら、スペック欄にそんな記載があったら、買いません―――って、
 そういう問題じゃないんです!
 とにかく! 「彼」には悪いですけれど、コレばっかりは無理ですからね」
ノリツッコミっぽい技まで披露して全力全身で、拒絶すると
流石に橙子さんも、肩を竦めて頷いてくれた。

「まあ、黒桐がどうしてもいやだというのなら仕方ないか。
 じゃあ、式。どうする?」
「どうするって何を」
不意に振られた話題に、露骨に顔をしかめる式に、
橙子さんは事も無げに告げた。

「いや、だから、君が彼の相手をしてくれるか、という意味だが」


殺意と言うものが、目に見えたのはある意味はじめてかもしれない。


「放せ! 幹也」
「とりあえず、そのナイフをしまいなさい!」
「五月蝿い! 1回、あいつは死なないと分からないんだ!」
「納得しないでもないけれど! とにかく、落ち着いて、ね」
「うー」
躊躇なくナイフを引き抜いた式の眼があまりに本気だったので、
僕は両手で式を羽交い絞めする羽目になった。

「やれやれ、式もダメか。仕方ないな、鮮花に―――」
「いくら僕でも、本気で怒りますよ? 所長?」
式を抱きかかえたまま、出来うる限りの冷たい声で告げると、
「冗談だよ」、と橙子さんは肩をすくめたが――、直ぐに邪悪な笑みを浮かべ、言った。


「じゃあ、性交渉は私がやるしかないか」、と。


―――は?

「所長?」
「ん? 何か聞こえたかな」
にやり、と心底、人の悪い笑みがその端正な顔に張り付いている。

「今、なにか物凄く不穏当な発言をなさいませんでしたか」
「だから、黒桐の彼の相手をしてくれないから、
 私がするしかないなと言っただけだが。ダメか?」

「「ダメに決まってるだろ!」でしょう!」
果たして今日、式と声を重ねたのは何度目か。
息をぴったりあわせて、どなる僕たちに、橙子さんは唇を尖らせた。

「だって、お前らがしてくれないんだから」
「すねたように言ったってダメです」
「幹也君、こわーい」
「だから、僕だって怒るときには怒りますよ」
抗議の声をあげながらも、僕は内心で頭を抱えていた。

全然、話が進まない。大体、そもそも、なんだって―――。

「なんだって、その―――性交渉とかにこだわるんですか」
というか、毎回人形作る度にそんなことしてたのだろうか。なんて、そんな妄想が頭をよぎる。

「別に、いつもはしてないぞ、黒桐」
僕の脳裏を見透かしたように、橙子さんは意地悪く微笑んだ。

「ポーカーフェースとまでは言わないが、多少は表情の制御ぐらい覚えた方が良いよ。黒桐。
 それはともかく、今回は、特殊なケースではあるんだ。
 実は、『彼』の魂の原型は女性でね。肉体に癒着させるには男性としての性体験を
 させるのが手っ取り早い。
 まあ、すり込みみたいなもんだと思えばいいさ。
 というわけで、スペック表うんぬんは関係なく、そういった行為が必要になる」
かなり違うと思ったけれど、それは口にせずに別の疑問を投げる。

「なんだって、そんな真似したんです? 
 魂の原型って何なのかしりませんけど、元が女の人なら、素直に女の人の体にすれば」
「そうすれば、素直に君が抱いてくれた訳だな」
「混ぜっ返さないで下さい。所長」

「ノリが悪いなあ。まあ、君の言い分はわかるがね。今回はそういう意味でも特殊と言える。
 もともと、男性体を作る予定が先にあって魂の素を探したんではなく、
 彼―――いや、彼女か―――という魂の残滓を見つけたから、それを受容する器としての肉体を作った、
 と言うのが順序としては正しいな。
 やっかいな素体ではあるのだが、色々と私にも事情があってね」
そう言いながら軽く肩を竦めた橙子さんは複雑な色を瞳にたたえて、「彼」を見た。
それとほぼ同時に。

「―――魂の、残滓?」
橙子さんの良くわからない台詞の中にあった、その言葉。
その部分に、式は不意に表情を曇らせて、『彼』に視線を向けて。

「―――」
絶句、した。

「式?」
「―――まさか―――」
問い掛ける僕に答えず呆然と呟く式の声は、明らかに緊張の色に包まれていた。
その態度は、まるで―――そう、まるで幽霊にでもあったかのように、見えた。

今までの、橙子さんに振り回され、怒り、呆れながらも穏やかだった雰囲気が、
式の態度に凍てついて、消える。

「まさか―――」
「え?・・・あの、なにか」
呆然とした口調と言葉。しかし、それとは対照的に、式の視線は刃のようにその険しさを増していく。
その視線に射抜かれて、『彼』は完全に萎縮してしまっていた。

…なるほど、いつも、式に怒られている時の僕は、こういう顔をするのか。
緊迫する空気に気圧されても、頭の一部分はのんきにそんな思いを抱く。
いや、実際は、そんなことしか思えないほどに、急変した雰囲気と事態を飲み込めていないだけなのかもしれない。

「お前、まさか。ふ―――」
「―――気づいたのか、式」
何かを言いかけた式の言葉を、橙子さんの舌打ち交じりの言葉で遮った。

「いくら鋭いといっても、限度というものがあるぞ。
 もはや『彼女』を感じ取れる要素など、微塵も無いはずなんだが……それでも見えるのか、君は」
本当に呆れたといった表情で溜息つく所長に、式は感情に震える声を叩き付ける。

「……なんのつもりだ。トウコ。
 悪ふざけにしては度を過ぎてるぜ、こいつは」
「そいつは、義憤か? だったら、酷く無意味だね。
 偽りの魂のよりしろとして、その名残を借りたに過ぎないのだからな。
 別段、『彼女』の尊厳を踏みにじったつもりはないぞ」
「悪趣味なことには変わりない。
 答えろ、トウコ。なんで、こんなマネをする」
「返答次第ではただでは、置かない、か? 剣呑だね」
触れただけで切れてしまいそうな式の敵意を受けて、橙子さんの口元が僅かに釣りあがる。
挑発するようでもあり、自嘲するようにも見えるその笑みを浮かべ、彼女は、言った。

「だが、その問いに対して明確な答えは、実は私自身の中にも無い」
「なん、だと」
式の声が、震えた。でも、何故。

一体、式と橙子さんが、何について話しているのか。
何故、式がこんなに怒り、それ以上に―――動揺しているのか。

僕と―――僕のカタチをした『彼』は完全に、置いていかれてしまっている。

でも、この雰囲気はまずいことだけは、わかる。
式が本気で怒り、困っていることだけは、僕にはわかる。

だから、僕には何かをする義務がある。

「あの、二人とも」
「幹也人形君」
「は、はい!」
偶然か、あるいは意図的にか。僕の言葉を遮った橙子さんの声に、
『彼』は文字通り弾かれたように起立した。
自身の創造者に一礼する『彼』の表情は、今までの頼りなさが嘘のように霧散し、引き締まっていた。

「マスター。ご用命を」
「そこの机で延びている鮮花を下のベットまで運んでやってくれ。
 運び終わったら、私が声をかけるまで、『倉庫』で待機」
「了解です。マスター」
恭しく一礼する『彼』を一瞥してから橙子さんは僕へ顔を向けた。
一瞬だけ、迷うような表情をみせたが、即座にそれを打ち消して橙子さんは火のついていない
煙草で僕の手元を指し示す。

「黒桐。その仕事、後に回せるか?」
「無理です」
今度も質問の意図はわからなかったが、意味はわかったので、僕は即座に否定した。
ただでさえ、予定が押している。これ以上、遅れたらさすがに『伽藍の堂』の沽券に関わるだろう。

「でも、あと二時間くらいで終わりますけど」
「ああ、いや、構わない。続けてくれ。式」
席を外せ、というくらいの要求なら飲める。
そんな僕の意図に、橙子さんは即座に首を振り、式を見た。

「場所を変えようか」
「―――」
橙子さんの言葉に答えず、式はただ黙って、鮮花を抱きかかえる『彼』を見ていた。
しかし、『彼』が鮮花を抱っこしながら器用に僕たちに一礼して部屋を出るのを見送ると、
「わかった」、と小さく橙子さんに頷いて、式はソファーをたった。

そして、そのまま僕の横を通り過ぎて、彼女もドアへと向かう。

でも、その途中で。
「式」
彼女の腕を、僕は掴んだ。

「―――?!」
びくっ。
おびえに似た痙攣がその細腕にはしり、反射的に式は僕の手を振り払おうとして―――止めた。
夜の色を宿した彼女の瞳。座った僕を見下ろす彼女のその瞳に、浮かぶのは困惑。

そう。はっきりわかる程、式は動揺していた。
でも、一体何故。一体、何に動揺しているのか―――その肝心なことが、僕にはわからない。

だから、訊く。「大丈夫か」、とだけ。

「…うん。大丈夫」
刹那の沈黙。その後に、少しだけ表情を溶かして式は、首を縦に振った。


「―――ありがと、幹也」、って多分、精一杯の微笑をくれながら。

 

次へ。