八つ当たり・八つ当たり返し
なんでこんなに苛々しているのか、それくらい自分でもよく解っているつもりだ。
だからといって、何故それを収えなければいけないのか。
「…やれやれ、集中出来ていないようだな。そんなにあの二人が気になるのか?」
微かに、だがあからさまに笑いを含んだ橙子師の声に、私は眉を跳ね上げた。この人はいつもこうだ。
解っているくせに、こうしてわざわざ言葉にされるのを待っている。
私はペンを走らせていた手を止め、橙子さんを見つめた。いや、睨んだといった方が正しいだろう。
「…なんであの二人を一緒に仕事に行かせたんです。兄さんが一緒に行くなんて、言ってなかったじゃありませんか」
今あの二人は、橙子さんの所にきた仕事の依頼(内容は口にされなかった)を受けて、外出している。
式に与えられたちょっとした仕事に同伴しないか、と言われた時、私は勿論断った。
あの女と一緒に仕事をするくらいなら、ここで勉強していたほうがいい。
―――知ってさえいれば。
幹也が一緒だと知ってさえいれば、私だってむざむざチャンスを潰そうなんて思わなかったのに。
なんでよりによって、あの式と幹也に二人きりで仕事させるハメに。
「恨めしそうな顔をするな、鮮花。断ったのは自分だろう?」
「言わなかったのは橙子さんです。兄さんが一緒だって知っていたら、私だって仕事に行ってたのに」
器用に唇を吊り上げ、橙子さんが煙草に火を点ける。…ああ、面白がっているんだな。
師弟という立場を忘れて、感情をぶつけてやりたいような気になる。愛は女を強くするんだ、コノヤロウ。
だが、私の内心に気付かず、橙子さんはどこか掴めない表情を浮かべた。
「まあそう言うな。考えようによっては、行かなくて正解だったかもしれないぞ? 今回の依頼は特殊だからな」
「…どういうことです? それじゃ――」
事前に言ったら、断るような内容だったんですか。
「そこら辺は予想通りだな。そうだな…黒桐はそうでもないだろうが、式はああいうのは苦手だろう」
「…? 一体どんな仕事なんです」
訝る私に、橙子さんは心底楽しそうに笑みを浮かべた。…これは、何か企んでいる顔だ。
どことなく邪悪な笑みを隠さずに、橙子さんは答えを返す。
「今回の仕事はな、絵のモデルだ」
「モデル…ですか」
ああ、と頷いて煙草を灰皿に押し付ける。
「私の知り合いで、腕のいい絵描きがいてね。ちょっとモデルが必要だと言うんで貸してやったんだ。
アイツの作品はなかなか真に迫っていてね、見る者を圧倒する。
その肥やしとなってもらう為に、あの二人に行ってもらったんだ」
成程、確かにそういう仕事では、事前に話をしてしまうと式は引き受けないだろう。だが、一つ気にかかる。
「何で今回の仕事を式は引き受けたんです?
いつもみたいな物騒な仕事ならともかく、今回は特に受ける必要がないでしょう」
「それがあるんだな。
…困ったことに、アイツの要望である最低二人のモデルを提供しないことには、黒桐は今月の給料がもらえない。
それでは黒桐が困る。では、そんな時に式はどうするんだろうな?」
くくく、と目を細めてさもおかしそうに笑う。対して私は、はっきりと呆れた顔をしていた。
「…また使い込んだんですか。どうすればそんなに頻繁に給料を滞らせられるんです…」
「仕方あるまい。掘り出し物があったんだから。魔術師たるもの、価値あるものは手に入れなければならんだろう」
「平穏な生活が続いている時に、わざわざ物騒なもの買い込まなくてもいいでしょう! そういうのは趣味っていうんです!」
いい加減苛々も、収集がつかない所まで来ていた。ああもう全く!
いきなり声を荒げた私に驚いて、橙子さんは目を丸くしていた。だがそんなことに構ってはいられない。
「そもそも、橙子さんがそういう衝動買いをしなければ、
兄さんと式が一緒に仕事する必要なんてなかったじゃないですか!
どうしても買い物がしたいなら、給料分抜いてからして下さい!」
くそ、今ごろ式が幹也と一緒にモデルなんてやってるかと思うと、胃がムカムカしてくる。
モデルが不服だろうが何だろうがいいじゃないか、幹也と一緒にいられるんだから、チクショウ。
私は肩を怒らせて、橙子さんの机に近づいた。
「おいおい…少しは落ち着け。な?」
「お・ち・つ・き・ま・せ・ん! 今回は落ち着けません! 今日から私がここの経理をやりますから!」
へ? と間抜けな声を上げる橙子さんを椅子ごと寄せて、私は机の中の通帳やら何やらを探す。
事態に気付いて止めようとする橙子さんより先に、目標のものを探り当てる。
「こら! 返せ鮮花!」
一切を無視。通帳の中身を確かめる。…三十万か。幹也の給料と諸経費を合わせて差し引くと、余裕でマイナスになる。
私は今までの鬱憤を、本日取っておきの笑みで吐き出した。
「じゃあ、お給料の分引き出してきますから」
「うわ、待て待て待て!」
声を背中に受けながら、悠然と場を抜け出す。さて、銀行に行くとしますか。
「ふう〜、疲れた…」
モデルを終えて、僕はようやく『伽藍の堂』に戻ることが出来た。
途中で式が癇癪を起こしたり、それを宥めたりで大変な仕事だったが、
いつもと違った感じの式を見られたことだし、ちょっと役得だったかもしれない。
まあともかく、概ね満足のいく仕事が出来たと思う。
…さて。
疲労による溜息交じりで、入り口のドアを開けた。
「所長、戻りまし…た…」
一歩足を踏み入れた瞬間、とてつもなく嫌な予感が身を包んだ。知らず語尾が窄まり、踵を返したくなる。
「ああ黒桐…、よく帰ってきた。仕事はどうだった?」
「…え、ええ。無事に終わりましたが…、何かあったんですか?」
「そうか、全て終わったんだな? モデルの仕事は」
所長、話を聞いてますか? 眼の奥で黒い光が渦巻いているのは気の所為ですか?
「ご苦労だった黒桐。…じゃあ次の仕事だ」
「はい!? ちょ、ちょっと待って下さいよ、今仕事終わったばかりじゃないですか!」
理不尽な発言に悲鳴を上げる。が、橙子さんは夢を見るような瞳で、僕を見返した。
「それなんだが…困ったことに鮮花が我が社の金を全部持って行ってしまってね。
こうなった以上、兄である君に働いて返してもらうしかないだろう?」
は? …鮮花が? 何でそんなことを?
頭の中で激しく疑問符が飛び交う。まるで訳が解らなかった。
「え、橙子さん、何がどうしてそんなことになったんです? ちょっと」
「気にするな、オマエが自分で気付かなければいけないことだ。私の口から言うのは憚られる。
…という訳で黒桐、次の仕事が待ってるぞ」
僕は何とかか反論しようとしたが、橙子さんがやたらと冷たい視線を向けるので、従わざるを得ないのが解ってしまった。
…ああ、一体何がどうしてこうなったのやら…。
がっくりと肩を落とし、僕はぼんやりと次の仕事の説明を聞いていた。
結局この後、僕は連日のように日にちが変わってしまうまで仕事を続けるハメになった。
二ヶ月分以上働いて、一ヶ月分の給料が鮮花から直接手渡しされたのは、また別の話だ。
あとがき
秋月です。手探りでSSを書き連ねてみました。
空の境界は何だかネタが浮かびにくくて…(涙
本人なりに必死こいて書いています。最後まで読んでいただければ、幸いです。
次はもっと修行してきたいと思います。祭り中にネタが降りてくれることを期待してw
では、お付き合いいただきありがとうございました。
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