『一寸一服』





 それは――――どこかで見た風景だった。
 まず見えるのは蒼い空。
 どこまでもどこまでも蒼く……無限に広がっていく空。
 名も知れぬ鳥達が絵でも描くかのように飛び交い、
 まばらに覆う白い雲から秋の日差しが差し込んでくる。

 次に見えるのは枯草色の大地。
 柔らかな風に揺れる金色の稲穂。
 むせ返るような土の匂い。
 寂しくなり始めた木々の葉が、一枚、また一枚と舞い落ちていく。

 絵画の中に閉じ込められたような世界だった。
 色を持ち、質感を持ち、しかし現実味だけが完璧に欠如している。
 そんな世界の中、私は古い白いテラスに在った。
 その場所には四本足の白いテーブルとあつらえたように四脚の白い椅子。
 テーブルの中央には一輪の名も知らぬ花。
 四脚の椅子の前には淡く香る紅茶。
 添えられたシナモン。

 私はそこで、何を待っている(・・・・・)のか。

「やぁ、君は蒼崎橙子だね」
「マスター・オブ・バベル―――オマエか」
 唐突に現れた黒ぶちメガネの男は、当たり前の仕草で椅子に腰をかけた。
 そして、いつまでたっても冷める事のない(・・・・・・・・・・・・・・・)紅茶を手に取る。
「あぁ、随分良い香りのようだね。学院にいた頃以来の上物だろう」
 そう言われればそうかもしれない。
 茶には特に趣向を持たない私だったが、やはり良い物は良い。
 日本に来てからは安物の珈琲ばかりだったから、英国の高級紅茶の薫りは久しぶりだ。
 私も手に取り、一口含む。
 口の中に芳醇な薫りが広がり、独特のクセのある味を楽しむ。
 そういえばあの頃はまだ知らなかったか。オレンジペコが品種の名前ではなく等級の名前なのだとは。

「茶菓子はないのかい、アオザキ」
「コウネリウス。土産も無しにやってくるなど、英国紳士のマナーに反するんじゃないか?」
 今度は驚かず、冷静に対応できた。
 金髪碧眼の男は学院時代に好んできていた赤い法衣(ローブ)姿だ。
「冗談だろう! 君に土産だなんて!」
「あぁ、そうだな。おまえの土産など恐ろしくて触れることもできん」
 こいつも同様に当たり前のように同じ卓に座った。
 そして自然な仕草で紅茶を口に持っていく。
 前から思っていたことだが……この男のその仕草は出来過ぎなくらい滑らかで、まるで芸を仕込まれたサルのように滑稽だ。
 なんて、言ったらどうなるだろう。
「まるで芸を仕込まれたサルだな」
 ……言ってみた。
「そんな君のほうこそ、下品な飲み方だ。芸の仕込まれていない河馬だな」
 大きなお世話だ。
 それにこのエリート坊ちゃまはどうせ本物のカバなんて見たことが無いのだろう。
 カバは野生の動物の中では結構綺麗好きな方に分類されるのだ。

「おまえがいるという事は、奴もいるのだろう?」
 言うと同時に、目の前に巨大な黒い物体が現れた。
 黒い髪、黒い瞳、黒い服。
 全ての漆黒をその身に纏った大柄の男は、無言で手に持っていたものをテーブルに落とした。
「馬鹿な――――羊羹だと?」
「アラヤ。君の趣味は歪んでいるよ」
 どこで買ってきたのか……。
 又、どんな面をして買ったのか。
 テーブルの上に置かれた羊羹には「虎屋」と書かれていた。
 似合わない。ひたすら似合わない。
 いや、そもそも、こいつがまともに食事を取る所すら私は見たことが無かった。

 その絵画の世界で、私達四人は紅茶を飲んだ。
 互いに、何も話すことは無く。
 ただ作業のように黙々と続ける。
 それもそうだろう。
 私達には共通の話題など無かった。
 イギリスにあって、私はたくさんの魔術師やそうではない人間と出会ったが、
 こうやって共に茶を飲むような機会はほとんど無かったように覚えている。
 魔術師とは概ねそういうものだ。
 ただ自らの目的のためだけに行動し、関係の無い他人とは関わらない。
 他人を排斥し、ただただ自己の完成を目指す。
 時間を惜しむように人形の製作に打ちこんでいた私は、自らこの時間を放棄していたといえる。

「それで? これは誰の仕業だ?」
「何を愚かな。答えなどわかりきっている」
「そうだよ、アオザキ。死したる者は夢を見ない。夢を見るのは生者の仕業だ」
 当たり前の口調に、私もまた当たり前に納得する。
 あぁ、そうだ。
 こんな、ありえない風景。
 こんな、ありえなかった時間。
 これは――――
「夢なのだな?」
 言わずもがな――――誰も口を開かない。
 そうか。これは、夢か……。
「夢でまで貴様らの顔を見るだなんて……なんの因果か」
 私は笑った。
 こんな世界で、こんな面子と茶を交わすことになるだなんて。
「タチが悪いぞ。まったく……」
「それは私も同感だよ。なにせ君とは学院時代にすらほとんど交流が無いんだ。なのになぜここにいるのだろうね」
「我らは現実の我らではない。ここにいるのは貴様の中の我らだ」
「だから私達を具現させているのは君自身の魂だね。勝手に呼び出しておいてタチが悪いなんて随分じゃないか」
 そうか。
 おまえ達も、私の夢か。
 フ―――吐息のような笑いが漏れる。
 あぁ、まったく。本当にタチが悪い。
 なんでおまえ達とこんな場所で、こんな時間を過ごすことになるのか。
「消えろ」
 ――――消えた。
 全てが一瞬にして消滅し、残ったのは自分すら見えないほどの白、白、白。
 まるで冗談だったかのように、全てが消えて無くなった。
 ……少し、勿体無かったかもしれない。
 虎屋の羊羹は、好物なのだ。


・  ・  ・


「橙子さん……トウコさん!」
「……ん」
 重たい瞼を無理やり押し上げると、声の主がこちらを睨み付けていた。
 といってももともと人のよさそうな顔。
 黒ぶち眼鏡の奥にあるその瞳だって、まったくもって恐ろしくなど無い。
「黒桐……羊羹は?」
「は? 何を寝ぼけてるんですか。そろそろ仕事をしてくれないと、仕事が上がらないじゃないですか!
 そしたら今月の給料が貰えないんですよっ!」
 そうだった。
 私は図版の作成中に眠ってしまったのだった。
「おはよう、黒桐」
「……はぁ。おはようございます。橙子さん。でも残念ながらもうお昼です」
 いいからさっさと起きて、仕事をしてください。と怒りながら珈琲を差し出してくる。
 私はそれを受けり、口に含んだ。
 あぁ、安物だ。
 このへんてこな苦味がたまらない。
 あの紅茶とは大違いだった。
「……夢を、見ていたんだ」
「へぇ、珍しい。どんな夢だったんですか?」
「ん……。いや、なに……」
 過去を思い返すほど長い時間を歩いてきたつもりは無い。
 ただ、少し急ぎ過ぎていたようにも思える。
 こうやって、一服する時間すら、私には無かったのだから。
 だからあぁいう時間を過ごすのも、良かったかもしれない。
 ……だけど、いくらなんでもあの面子はなぁ……。
 消えていった三人の男達の顔を思い出し、呆れて首を振る。
 私は珈琲をもう一口だけ含み、そして答えた。
「とびっきりの――――――――悪夢さ」
 ……なんて、笑いながら(・・・・・)







後書き。

一寸を「いっすん」と読んだ人、死刑(ぉ
冗談です。でもちゃんと「ちょっと」と読んでくださいね♪

さて、まじつし祭りの一本目は宣言通り橙子さんです。
ちょっと不思議な夢のお話。
あの面子でお茶飲むのは、常人なら胃に穴が開きそうです(笑

ちなみに文中で出てくる「オレンジペコが品種ではなく等級」というのは、
雨音もこのSSを書いてる途中で知りました。
知ったかして、「紅茶はオレンジペコが好き」なんて言ったら、恥かくようです(笑

最後に。
ルビを使いましたが、やっぱり折り返しが上手くいきません。
テーブルでも使えば、何とかなるのかな?
助言、募集チゥです。



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