かつん、かつん、と何かの足音が通路から聞こえてくる。
 信じられん、と青年は息を呑む。
 大きすぎる鞄がそこにいる―――――。

もしも、橙子の新しい身体がメカ沢だったら

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「おまえは死んだはずだ、なんてお決まりの台詞だけはよしてくれよコルネリウス」
 赤いコートの青年―――アルバは言葉も無くその鞄を見つめている。
 鞄はロビーにまでやってくると、よいしょ、と身体を床に置いた。旅行にでも出かけるような、人一人は押し込めるほどの大きい鞄だった。
「―――急いだつもりだったが、間に合わなかったか」
 アルバは、鞄が橙子らしく振る舞えば振る舞うほど、自分の背筋に走る悪寒を止められない。
「鞄が独りでに歩く事はありえない。これは何かの間違いだ」
 くすくすと鞄は笑う。
 ようやくアルバは理解できた。目の前に立つ鞄は鞄でなく機械で、以前と寸分も合わぬ代物だという事を。
 だからこそ、彼は同じ疑問を繰り返す。今、自身が前にしている現実を理解できても、その答えが彼にはまったく解らないのだから。
「ここにいるおまえはなんだ!」
「決まっているじゃないか。蒼崎橙子の替わりだよ」
 すんなりと、彼女は答えた。
 青年は相手のあんまりな主張に惚けて、口をだらしなく開けている。
「代わり……? 貴様、人形か?」
 自ら口にして、否、アルバは思い留まった。
 中身の構造はごまかせなくても、外見は精巧に人に似せられる。
 だというのに、目の前の蒼崎橙子にはそんな上出来な部分がまったくない。
「私はね、アルバ。私自身でさえ、いつ本物とすり替わったか判らないんだ」
「いや、判るだろう」
「蒼崎橙子は人形師だ。私は何年か前、ある実験の過程で自身と寸分違わぬ人形を作り上げた。まったく同一の性能を持った器だ」
「いや、違ってるって」
 人形師の告白に、アルバは一々突っ込みを入れる。
「おまえ、五月蝿いぞ」
 ばたん、と音がした。橙子の頭のハッチが開いた音である。
 頭の中には、光る、

―――――二つの、ミサイルが。

 なるほど、とアルバは頷いた。
 鞄というには大きすぎる円柱形。それは戦争で使う、ミサイルポッドそのものの姿ではないか。
 そのままミサイル撃たれ消滅する直前、人形師と目があった。彼女の瞳は嗤っているのか何なのか判らなかった。
 それだけで、彼は敵うはずがなかったのだ、と後悔した。
 こんな鉱物どもと、関わるべきではなかったのだ。

 ――それが、赤いコートの魔術師の最後の思考だった。

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 月明かりだけが、生きているようだった。
 両腕を失って立ち尽くす黒衣の魔術師。
 そこへ、散歩の帰りのような足取りで、もう一人の魔術師がやってきた。
「再会があるとすれば、次世紀か」
「そのころには二千年問題が発生している。再会はないだろ」

もしも、姉妹揃ってメカ沢だったら

 橙子が、なりは小さいが橙子そっくりな存在を連れて工房に帰って来た。
「紹介しよう、妹の青子だ」
「アオラッタ」
 蒼崎青子は、右手を上げて挨拶した。青子の背中にあるボタンを橙子が押す度に、右手を上げているように見えるのは、気のせいだろうか。
「橙子、妹と仲直りしたのか」
「いや、その反応は違うだろう、式」
 そう言う幹也は、突っ込み所が満載なので、逆にどこから突っ込んでいいのか迷っていた。
「お茶を煎れてくれないか、鮮花」
「はい、橙子さん」
 鮮花は、急須を取り出した。
「なあ、鮮花」
「どうしました、兄さん?」
「それは、茶筒じゃないぞ」
「アオラッタ!」
「あっ!」
 鮮花が開けたのは、青子の頭部だった。でも、何故かお茶っ葉が入っていたので、そのままお茶を煎れた。
 今日の橙子は眼鏡をかけていたので、いきなり戦ったりはしないだろうと幹也は安心していた。橙子が眼鏡を掛けているかどうかは、目と目の間に線が入っているかどうかで区別するしかなかったが。
「あれ? 青子さんは何処に行ったんですか?」
 お茶をテーブルに置いた鮮花が、事務所を見回した。
「おい幹也」
「何だい、式?」
「踏んでるぞ、おまえ」
「アオラッタ……」
「あっ!」
 幹也は、青子を踏ん付けていたのだ。

終わり

【あとがき】
今日は、練馬です。
ヤッちゃったよ。どうしよう。書き終わってから、そう思いました。
実は、青子の掛け声は何がいいかで、一番悩んでました。

それでは皆さん(いきなりダッシュして逃げ去る)。


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