契約

 場所と日時を指定したのは先方なのだが、正直意外な場所を選んだものだ。
 その喫茶店についた時、まず目に付いたのは入り口のガラスに映った自分の姿だった。眉間に深く刻まれた皺。
 まるで、私自身の苦悩を体で表したような、ある種の刻印。
 目には付くが、取り立てて興味を引く訳でもない、いつも通りの自分がそこにいる。
 そして、ガラスに映った薄い私の姿と重なるように、その男は以前会った時と変わらぬ笑みを浮かべていた。
 「久し振りだね、荒耶」
 「ああ、久しいな、玄霧」
 あくまでも儀礼的な会話。そして、私が望んだ会談。それはこうして始まった。


 「しかし…、私としては意外だったよ。まさか君からお呼びがかかるとは思わなかった」
 向かい合わせの席で、玄霧は眼鏡をなぞった。いつ見ても柔和な顔。
 私はこの男が笑み以外の表情を浮かべているのを見た事が無い。
 この私を前にして、笑みを浮かべていられるのはこの男くらいかもしれない。
 向けられる笑顔に、所詮意味など在りはしないが。

 「…それで? わざわざ私を呼んだのには君なりの意味があるのだろう?」
 「…まさしくそうだ」
 真正面から見据える。
 「以前オマエは、私に望みを問うた事が在ったな」
 「ええ。あの時は結局望みを聞く事は出来ませんでしたが」
 玄霧 皐月は人間の望みを叶える、と言われている。――否、それこそが、この男の存在する意義なのだ。
 初めて会った時、私は玄霧に『何も望まない』とだけ答えた。
 答えは我が内に見出すべきモノだ。私が望むものは、他人から与えられた叡智ではない。
 たとえ噂で言われているように、実際に玄霧が望みを叶えられる存在であるとしても、それは私が望む形ではない。
 その考えは今でも変わらない。永劫変わる事もあるまい。それを意識した上でなお、私にはこの男と話をする理由があった。
 これから話す内容に一切の濁りが混じらぬよう、私は口を開いた。
 「根源に繋がる器を見つけた」
 折り悪く運ばれて来た紅茶を礼儀正しく受け取つつ、目の前の男は軽く目を見開いて見せた。

 「ほう――それで、その器は何という名前だい?」
 「両儀 式。私は、彼女という器を用いて、根源と繋がろうと思う」
 揺らがない意思を込め、呟く。玄霧は興味深そうに発言の内容を吟味していた。
 玄霧とて、『魔法使いに最も近い魔術師』と言われた男だ。根源に近づくという事の意味は充分に理解していよう。

 「荒耶。君はそれを私に告げて、何をしようと言うのかな」

 あくまでも受動的な構え。それこそが、この男の常である。故に、私も私の常を以って応じる。
 「知れた事。オマエに協力を仰ぎたい」
 それこそが、私が今回この男との会談を望んだ理由であった。
 現在当て馬として目を付けている不浄や浅神では、似て非なる存在の両儀 式に及ぶべくも無い。
 アルバの目的は蒼崎のみ。そして私では彼女を殺す事無く捉える事は難しい。
 そうした見解に基づいた、私なりの解決策が、玄霧の統一言語であった。直死の魔眼といえど、言葉までは殺せないからだ。
 玄霧ならば、両儀 式を容易に捉え得る。器を傷付ける事はなるべくなら避けたい事態であった。
 合点がいったのか、玄霧がふむ、と漏らす。

 「それが君の望みとあらば、私はそれに従おう。だが、君は抑止力をどうするつもりなのかな?」
 「…今回、私が出る事は無い。あくまでも、根源に繋がる器が然るべき道筋で根源に至るのみ」
 「そして、その器によって君が根源に触れる訳か。――それで君の嘆きを止める事が出来ると?」
 その問いに、私はただいかにも、とだけ頷いた。玄霧は時折紅茶に口を付けながら、注意深く私の話に耳を傾けている。
 「根源に触れられて初めて、私は世にひしめく下賎な人間というものに対して完全な理解を示せるだろう。
  ――私は、ただ結論が欲しいのだ」

 そう、私はただ結論だけを望む。
 全てが途絶えた後、その醜さだけが残るのならば、それだけが人間の価値であったと理解できたのならば、
 私はようやく安心出来るのだ。

 行けども行けども出くわす死体の山、その魂。醜悪で、生き汚い人間というモノ。
 死の蒐集の果てに行き着くべきその答え。
 それこそが、我が嘆きであり、我が望み。
 「それが君の望みという訳か。――それならば荒耶、私はその望み通り、君と契約する事としよう」
 「…感謝する。話はこれだけだ」
 言い置いて、席を立つ。これ以上この場に用は無い。
 玄霧は飲み干した紅茶のカップを静かに置くと、背を向けようとした私に一度呼びかけた。その声に、足を止める。
 「荒耶」
 向き直り、終始変わる事の無かった笑顔に視線をくれてやった。
 丹精で柔和な顔がそこにある。統一言語師が、その特徴たる言葉で私に問う。
 「荒耶、何を求める」
 「真の叡智を」
 「荒耶、何処に求める」
 「ただ、己が内にのみ」
 そして私は完全に彼に背を向ける。
 磨かれた入り口を抜け、幾分か曇った外に出る。
 ――これからどこに向かう?
 自らの内に生まれた疑問に、私はらしくもない苦笑を以って前を見据えた。
 知れた事。この矛盾した螺旋の果てを―――

 あとがき
 どうも、秋月です。
 やっぱり空の境界、書くの難しいでやんの。しかも題材が……(泣)。
 仕方ないので、出してしまえ、という自分的な誓いがあったことを胸にしまっておきます。
 読んでいただければこれ幸いです。…楽しんでいただければ、より一層幸いです。それでは。
 


空の境界部門TOPへ

魔術師の宴TOPへ