貸し借り


 『今夜、貴殿の研究の全てをいただく』
 文面はそれだけ。簡素な封筒に入っていた手紙に、コルネリウス・アルバは苛立たしげな息を吐いた。
 研究を終えて、自室の机で少し休もうと思っていた矢先に、こんな不躾な手紙が届くとは。
 アルバはもう一度文面を読むと、手紙を封筒ごと握り潰した。
 「…下らん、思い知らせてやろう」
 呟きとともに、紙片は燃え落ちた。


 今はまだ夕方だ。相手が裏をかく可能性はあるが、それでも早い内に準備は済ませておいた方がいい。
 準備は簡単だった。結界は二つで充分だ。
 まず、近づく者を感知出来るようにするもの。次に、研究を守る為のもの。
 これだけあれば、優秀さにおいて右に出るものはいない、と自賛する彼にとっては充分である。
 来るなら来ればいい。その時は、全力を以って相手を叩き潰すのみ。
 「この私を狙ったことを後悔するがいい…」
 コルネリウス・アルバはどこか満足げな様子で、椅子に腰を落ち着けた。


 ――だが、彼には幾つか見落としがあった。
 それに気付くまでには、まだ少々時間が必要である。


 深夜。椅子に腰掛けたままウトウトしていた彼は、不意に訪れた違和感で目を覚ました。
 起き抜けのハッキリしない頭が、必死に違和感の正体を探している。
 「……近い!」
 ようやく、結界の一つが敵に反応していることに気付き、彼は椅子から跳ね上がった。
 場所は、この自室の窓の外、百メートルほど。慌てて窓から外に踊り出る。
 「どこの愚か者かは知らんが、いい度胸だ!」
 視界には鬱蒼と木々の茂った、見慣れた景色。そこにいるもの。
 声高に叫んで、服の裾をはためかせ、彼は敵と相対した。

 死人の山だった。
 それも、一桁でどうこう出来る数ではない。優に二十は越えていた。
 その大人数を前にして、彼は一向に怯む様子も無く、口元に笑みを刻む。
 「ははっ、なかなかの出し物じゃないか! 退屈せずに済みそうだ!」
 言いつつも、彼は大きく手を広げた。
 彼の出現に反応して、ようやく動き始めた死人を目に収めつつ、魔術の為の科白を吐く。
 「死は消えよ。我が前に闇は無し…」
 自分に可能な限り、最速で言葉を紡ぐ。死人は予想以上に早い動きではあるが、まだ彼を射程内に捉えていない。
 ―――彼の方が、早い。
 「我が御手は光。汝ら死を消す光。光の前に死は存すること能わず――!!」
 詠唱を終えた刹那、彼の手から眩いまでの炎が吹き上がる。
 まるで長剣を振るうように、炎で死人の群れを薙ぎ払う。千度を超える高熱で、手近な所まで来ていた数体が白い灰となった。
 いくら死ににくい体をしているといっても、所詮元は人間の体である。全身を灰にされては、行動は不可能だ。
 「どうした、その程度か!?」
 後続する死人に哄笑を浴びせつつ、再び彼は詠唱を始めようとする。この程度の相手ならば、自分が負ける要因など存在しない。

 ――だが、彼には幾つか見落としがあった。
 それは、酷く簡単なこと。

 この魔術師がひしめいている協会という場所に、真っ向から仕掛けてくる相手だ。実力が無いほうがおかしい。
 そして、実力がある者を相手にするには、彼は油断しすぎていた。

 突然、上から降ってきた衝撃で、彼は詠唱を止めた。いや、止めざるを得なかった。
 どろり、とまるで冗談のように歪んだ視界で、彼は上を仰ぎ見る。気付けば体は地面にくずおれ、頭部からは血が滴っていた。
 「―――、――」
 何を言いたいのか、死人が口を微かに動かして、こちらを見下ろしていた。
 笑っているのだろうか。
 アルバは自分の身に一体何が起こったのか、必死で考えている。
 一撃食らった。それは解る。だが、どうやって?
 周囲を見れば、死人の群れと生い茂る木々しかない。
 「木の上にも、いたのか…!」
 朦朧とする意識の中、確かな怨嗟を上げる。この集中出来ない状況では、魔術の行使は不可能だ。
 半ば諦めた彼を嘲笑うように、死人が手を振り上げる。
 ―――やられる―――!!


 「……愚昧が」


 それは、低い呟き。だが、力強い声。
 その低音が響き渡った瞬間、眼前の死人はまるで人形のように吹き飛ばされていた。
 何とか首を傾け、その人物を見据える。


 「詰めが甘いな、アルバ」


 そこにあったのは、無造作に拳を突き出した、荒耶 宗蓮の黒いシルエット。
 「アラヤ…? 何故ここにいる?」
 「何も狙われたのはオマエ一人ではない。他にも数人の所に手紙が来た。私はそれで人手が足りないので、こうして駆り出されている」
 言い終わらないうちに、荒耶は襲い掛かってきた一体の胸部に拳を打ち込む。呆気なくソイツは弾き飛ばされ、木に激突した。衝撃で骨が砕けたのか、地面を這いずることすら出来ずにいる。
 「オマエはそこで休んでいろ。私が片付けよう」
 「ふざけるな…! この借りは私が返す!」
 怒りで顔を赤く染めたアルバを見て、荒耶は仕方ない、とでも言うように溜息をついた。
 「好きにしろ、私は私で仕事をこなすまでだ。……一応言っておくが、死人を操っている大元はすでに捕らえられている。これらは与えられた命令に従っているだけの存在に過ぎんが、借りを返すのならば今のうちしかないぞ」
 言いたいことを言うと、荒耶は敵の群れに飛び込んだ。
 滑らかな動きで敵の懐に潜り込み、踵で敵の膝を踏み抜く。その一方、背後から襲い掛かろうとした死人に裏拳を叩き込み、腕を半ばからへし折る。
 荒耶は、群れの中を泳ぐように移動し、敵を打ち据えていく。それは一切の魔術を使わず、ただ相手を行動不能にする動きだ。
 それが意図するものは一つ。
 「ふん、止めは譲るという訳か…」
 体を起こし、ふらつく体を落ち着かせる。ここまで段取りを用意されているのだ、ゆっくり寝ている場合ではない。
 ここで立たなければ、借りは返せない。
 「影は消えよ――」
 呪文を紡ぐ。血が目に入って敵が見えにくい。
 だが、構わない。見えなければ、全てを焼き尽くしてやればいい。
 いつも以上に長い詠唱。だがそれは、敵の行動を全て荒耶が引き付けているからだ。
 それだけが、彼にとって癪に触る事実だ。借りはまとめて返さねばなるまい。
 ――詠唱が、終わる。
 「荒耶、退け!!」
 視界は既に赤く染まり、何一つとて見えていない。故に彼は、近くの戦場で聞こえた、一つの軽やかな足音のみを頼りにする。
 他の雑多な足音とは異なる、一際軽やかな足音が一つ。見えない世界で、荒耶は大きく後ろに跳んだ。
 「消え去れ――!!」
 青白い炎が、赤い視界で揺らめいた。

 「――っ!」
 痛みで目を覚ました。
 「目覚めたか。例の一件はすでに片付いた、ゆっくり休むがよかろう」
 今しがた来たのか、荒耶が入り口の傍に直立している。休むがよかろう、と言われても、アルバの方は頭痛でしばらくまともに動きたくはない気分だった。言われなくても休むつもりだ。
 アルバが大人しくしていることに頷いて、荒耶は思い出したように呟いた。
 「上の連中が、オマエの今回の働きを評したいと言っていた。…近々何かあるかもしれんな」
 「…当然だ、この私があそこまでしてやったのだから」
 アルバの言葉に荒耶は興味を失ったのか、無言で退出する。
 一人になった部屋で天井を仰ぎ、声を漏らす。
 「…私の手柄、か」
 それが間違った評価であることは、他ならぬ彼が実感している。自尊心の高い彼が、上層部の評価を素直に喜べない理由は明白であった。
 「やれやれ…、借りが一つ出来たな」
 自身を優れていると自認する彼にとって、人に借りがあるのは望むべき形ではない。
 借りはいつかは返さねばならない。それがどんな形になるかは解らないが。
 それだけを心に留めて、彼は静かな眠りについた。
 この借りを返す時が、彼が忌み嫌う人形遣いと相対する時だと知るには、長い時間を要する。

 後書き
 秋月です。
 たまにはアルバのいいとこ見てもいいかなー…と。それだけが目的だったんですが。
 荒耶にいい所持っていかれてるのはきっと気の所為です。
 赤ザコ、こうすると格好よくない? という訳で一つ。
 楽しんでいただければ幸いです。それでは。


 

 


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