人間では人は救えない…
私では人は救えない…
人はどうしようもなく死ぬものだ。
死はひたすらに理不尽で無意味…
救えない 救われない 救済はあり得ない
苦しみと喜びと哀しみと笑いと愛と苦痛と憤怒と憎悪と狂気と…そして平凡な日常と…
死の前では全て無価値に消える
いかに生きたかも、いかに死んだかも、、いかに苦しんだかも
死の前では全て無意味に終わる
死は何も残さない。
これは救済がために屍国を渡り、死を蒐集し記録した。
ある哀れな魔術師の…記憶である………

 

屍国巡礼


「師匠…何故なのですか?」
問い掛けるは青年、白い…しかし使い込まれたことを伺わせる僧衣に身を包み、
瞳には憤りと強い意志を感じさせる光が灯っている。
そしてその全身からは何かを決意した者特有の迫力がかいま見える。
「お主だけでなく儂もまだまだ未熟よ…荒耶」
青年と語り合うは師匠たる老人、しわくちゃだらけの体…髪の毛は全て抜け落ちている。
白いひげを蓄えた顎をさすり、瞼の奥のもう目は光を灯してはいない…

「何故ですか!?今の世は死が溢れています。強欲なる者、力持つ者、数にて自分より弱き者を虐げる者達…」
顔の刻んだ苦悩は深く…
彼はさらに訴える。
「すみかをなくした者、すてられる老人、親を戦乱でなくした子供、家族を失った者、陵辱される乙女…
 日々多くの命が喪われ苦悩は四国を満たし四つ国はもはや屍国へと転じています。
我等には力がある!彼らの命を救うに足る力がある、なのに何故苦しむ者達を救うことを禁ぜなさるか?」
彼らの立っているところは曼陀羅と呼ばれる絵柄の上である。天堂と地獄を表した織物の上に座り是非を問う…
聞こえるのは轟々とした滝の音と、修行僧達が唱える経だけだ。
ふぅ…と長いため息を付き師は言った。
「確かに我等には人の命を救う術がある。しかし………」
「しかし………?」
「我等は人の業までは救えんのだ…」
老人の声にも深い悲しみと憤りが混じっている。
一瞬…癖のない髪の毛を後ろで束ねた…魔術師の頭が揺れた…
「それでは何のための力です!?人を救うための力で人を救えないのなら我等は何のためにこのような修行をしているのですか」
「いつか…辿り着くために…救いと言う答えに辿り着くために」
老人の声は酷く優しかった。
「私には分かりません…私は私の方法で救いというものを探しに行きます」
「止めはせぬ…グホォゴホゴホォ」
「師匠…!?」
老人は激しくせき込み血を吐き出す…その腹に短刀が突き刺さっている。
「餞別だ…持って行け、この老いぼれの命と共にくれてやる」
「師匠…」
そして短刀を抜き放ち、自らの左腕を切り落とした。
ごとりと落ちる左腕…ほとんど血は出なかった。
「確かに頂いて参ります。聖人の左腕…仏舎利と短刀『結界刃"天獄"』を!」
自らの左腕を引きちぎりその身の中に埋め込んでいく。
「今まで有り難うございました…師匠」
そして…魔術師は目から雫をこぼしながら、一歩一歩階段を下っていく。
後に残るは血の雫…老人の屍はどこにも残ってはいなかった。

もはや長く生き過ぎた魔術師は覚えてはいまい…遠き日の…若かりし魔術師の未練である。

「―――夢か…」
軽い頭痛と共に目を覚ます、辺りを見回してみるとさして広くない…しかし酷く汚れ古くなった木造の家。
自分は布団に寝かされている。
がたっ…と立て付けの悪いとしか思えないような音を立てて戸が開いた。
「あっ、目が覚めましたがぁお坊さん」
なまりが酷い…おおらかそうな女性の声。
「貴方は…」
声の印象の通りおおらかでしかし少し痩せている女性。年の頃は40半か50といったところか…
「ああ…わたすがい?わたすはさえっていっでこの家のもんだぁ。びっくりすただよお坊さん傷だらけでたおれってだもの」
「………」
救えなかった…
一揆を起こした農民達を鎮圧するために大量の兵が送り込まれた。
それを彼は一人でくい止めた。
けして殺さずに…
千を越える相手と…しかも殺さずに、それがいかに困難なことか分かるだろうか?
彼の力によって村人達は永らえることが出来たが、もはや彼らには住む家も、耕す土地も残ってはいない。
それがいかに苦しいことか…彼らにはもはや飢え死か雀の涙ほどの見返りに地主の土地を耕すほか道はない。
彼らの命は救ったが…それも一時のことだけだ。
ならばそれは救えずに見殺しにしたのと大差ない。
傷だらけの体を引きずって…彼は答えを求めさすらった。彼の痛みを表すように…僧衣は彼の血を吸って赤い…
そして何時しか倒れてしまったのだろう。
「大丈夫けぇ?お坊さん」
そして今はこのざまだ。
「かたじけない…感謝致します」
結局私は救えずに…逆に私が助けられるとは…
この言葉に自嘲が含まれていたことに…果たしてこの女性は気付いただろうか?
「そうけぇそりゃぁよがった」
さえさんは人のいい笑顔でにっとわらった。
「おっがさ〜んご飯できだよ〜」
戸ががたっと開いて少女が入ってきた。
「おおそうがい…このお坊さんにも持ってぎでやんなさい」
は〜いなんて元気良く飛び出していく少女。
「今のは…」
「ああ…わたすの娘のたえですだ。この辺で一番の器量よしでわたすの自慢ですよ」
優しい表情でさえさんは言った。
「ご家族は…」
「ああ…わたすとたえの二人だけでづ…とっちゃんは流行病で死んじまった」
「…それは…すまないことを…」
「いや…もうずいぶん前のこんだから今では別にきにしちょらんよ気使わんといて」
外から足早にかけてくる音
少女が部屋の重苦しい空気を吹き飛ばしてくれた、
「おかっちゃんご飯もってきたよ〜」
たえが手にしているのは…盆の上に乗った欠けた椀3つと古い鍋そしてぼろぼろの湯飲み。
「まぁたいしたもんはないっけっど少しでもくっとかな傷ふさがらんけぇ」
「私などが頂いても…よろしいのですか?」
「気にしなさんな…さぁ食べなさぇ」
椀に盛られた飯は粟である。この時代米は貴重品だ…貧乏な者達は米の代わりにこのような質素なものを食べることになる。
しかし…
「…美味い………」
しばらく何も食べていなかったせいか…それともひさしぶりに暖かな心と言うものに触れたせいか
――おそらく後者であろう…その椀の盛られた幾ばくの質素なものはひどく美味かった。
「はは…おおげさだねぃお坊さん」
「ほんとにさぁ」
さっきはよく見ていなかったが…この少女は美人だ。
しかし美しいと言うよりも可愛いや綺麗といった言葉の方が似合うだろう。
まだ幼さを残したその笑顔はまるで花のようで…私の昏い心はいくらか癒された。
(救いとはこうゆうものではないだろうか…?)
ゆっくりと箸を進めながらそう考える。
(命の救済ではなく魂の癒し…)
知らずに私は泣いていた。
「お坊さん?」
「どうしました?」
(苦しみを除くことこそ救いではないだろうか?)
「いえ…何でもありません」
そういって涙を拭うと、空になった茶碗にほとんど味も具もないみそ汁を注いだ。


(………彼女らは元気だろうか…?)
滝に打たれながらそんなことを考える。
冬場の切るように冷たい水が彼の思考を、彼の精神を、鋭く、鋭くとがらせていく。
あの後彼は一から魂の勉強を始めた。
しかし…彼の修練していた台密では魂の直接的な認識や接触には適していなかった。
密教とは極論すれば自らの魂を磨くことである。
すなわち輪廻転生…つまり魂を教義の重きに置く、
しかし…密教で教えるのはは修練だけである。
どこぞの蛇と呼ばれし吸血鬼のように魂をあり得ない形に加工するような技術に属するすべは存在していなかった。
故に彼は全く手探りの状態から修行することになった。
時には滝に打たれた。
時には先達の文献を頼った。
時には数多の死体と共に住んだ事さえあった
長く辛い修行であった…
そして三年…長いか短いかよく分からなかったが、彼は魂を認識出来るまでに成長した。
そして彼は再び旅立った…再び彼女らに会うために。
しかし…運命とはかくも非常なものなのか…

道無き道を急ぐ。
村の方向から煙が上がっていた。
黒煙は前方の黄昏を覆っている。
悲鳴と怒声が此処まで聞こえてくる。
一体何が起きている?
いや…簡単なことだ、ただ意識がそれを認めない。
暗い森を抜けた、村ははんば焼け落ち黒い焼け跡をさらしている。
さらに火の手は残った建物を舐めている。
その村に二種類の赤い色…
片方は炎…
片方は人の血だった。
うち捨てられた死体―――ほとんどが男性の死骸である。
この無惨さは久しぶりだった。
黒く焦げもはや形だけしか人間を止めていない者、頭頂から真二つにされた者、
飛ばされた首が靴の形に潰され血と脳漿を飛び散らせているモノさえ有る
昔よく見た光景…
だが、何故今此処でこのような光景が広がっている。
そんなことに…耐えられない。
焼け落ちた家屋の隙間を縫って駆ける。
(無事であってくれ)
そう願う彼の心を嘲笑うような光景が…その先に広がっていた。
目の前には全裸の…首のないたえの死体…近くには首が転がっている。
周りには粗雑そうな男達―――南から流れてきた山賊達だ彼らは村の男達を皆殺しにすると女達を捕まえて………
「ひっひ最近みねぇ上玉だったな」
「ああ………だが殺しちまうのはもったい無かったんじゃねえか?高く売れただろうに…」
「馬鹿野郎、こいつオデのを噛みやがった。殺す理由はそれで十分だで」
口々にかってな事を言う盗賊達、彼にはまだ気付いていない。
「きさまらぁ」
「なんだぁてめぇは」
「いい…殺しちまえ」
山賊達は気付いていない自分たちが辿る運命を…
「きぃぃぃぃぃぃさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁまらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
憤怒の形相―――今の彼の姿は不動明王を彷彿とさせる…を浮かべ最初の一人に肉薄する。
仏舎利を埋め込んだ左腕を顔に突きだした。
肉を削ぎ骨を割り、左腕が沈んでいく…だがまだだ、まだこの程度では許さない。
指を立て眼窩の中に押し込んだ。
ぷちゅりと水疱を潰すような感触と共に両目が潰れ血と…どろりとした眼球の中身が飛び出す。
さらにそのまま力を込めて一気に手を握った。どうなったかは言うまでもあるまい。
最初の肉塊を投げ飛ばす。
二つ目の肉塊はそれに「ひぃ」という情けない声を出してぶつかった。
ひるんだ隙をついてそのまま"天獄"で切り裂く、切り裂かれた箇所はほとんど血も出ることなく、
まっぷたつにされた二つ目の肉塊はまるで水槽の魚の様に口をぱくぱくさせて悶えている。
「ぎざまぁ何者…」
三人目の頭の悪そうな巨大な肉塊が言葉を言い終わることはなかった。
「粛!」
大男の右腕が潰れる…そして粉々の肉塊になる。
「いでぃ…いでぃぎざまぁ」
そういって残った左腕で巨大なトゲ鉄球の付いた棍棒…つまりはフレイルである…を振り下ろす。だが…
「粛!」
鉄球ごと無くなる左腕…そして………
「粛!」
両足を…
「粛!」
胴体を…
「粛!!!!!!!!!!」
そして全てを…未だ完全ではない彼の術だがそれでも十分だ。
彼の手がゆっくり閉じていくに従って、そこら中から血を吹き出しながら丸い球形に圧縮されて行く肉塊。

そして彼自身のてのひらを引き裂かんばかりに指が食い込んだ時…もはやそれと見れば分からないほどの小ささになっていた。
ぱちゅん…と水風船が弾けるような音と共に爆ぜる肉球。
最後に残った血が降り注ぐ。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
血にまみれた腕で、血にまみれた自らの頭を抱え絶叫する。
まるで行き場のない怒りと哀しみを全て吐き出してしまおうとするかのように長く…長く響く慟哭の声。
自らの頭に爪を突き立て掻きむしる…自らの矮小さと憤りを攻めるかの如く。
爪を突き立てた皮膚が破れ血が流れる…まるで涙の様にその顔を伝う、
掻きむしる髪は抜け落ち…無理な力を加えられた髪はかつての真っ直ぐな形を留めず、
異様な癖が付いたおかしな形になっている。
そして深い苦悩は幾重にもきざまれた深い皺となって現れている。
それから後はただの虐殺だった。
百を越えるその盗賊団は一人残らず彼にくびり殺された。
捕まっていた女性達を解放したがそこにさえの姿はない。
彼は彼の心を移すが如くボロボロになり返り血に黒く染まった僧衣をはおり、
もはや死体と血と残り火がくすぶるだけのかつてのあの場所にぼんやりと座っていた。
そして…
人間には誰も救えない…つまりは師の言った通り。
私には誰も救えない…自身の矮小さを悟るだけであった。
人間はどうしようもなく死ぬモノだ。
私は様々な死を見てきた。
怨嗟の声を上げ死に行く男もいた。
ただこの幸せを願い泣きながら死ぬ女もいた。
ひもじいと笑いながら死ぬ子供もいた。
ただどうしようもなく、逆らうだけ逆らって無様に死ぬのが人の生。
絶望を絶望で覆い、昨日の嘆きはさらに濃い今日の嘆きで薄れていく…
そしてその今日の嘆きさえ、明日の嘆きには届かまい。
絶望と嘆きは繰り返し、それらは日々濃くなっていく。
私には誰も救えない。
ならその苦しみを留めよう、今までの人生とその後に待っていたであろう人生を留めてやろう。
その苦しみを生かし続けてやろう。
生の価値を知らしめるのは痛みや苦しみだ…ならば人生の価値はいかに苦しんだかであろう。
死者の脳髄を貪って、魂の軌跡自らの魂に刻みながらその哀れな魔術師は…そんなことを考えた。
記憶の底に封じられた…死の蒐集の始まりである。


―――それから彼はあまりにも長い時を生きた。
自分に比較的近い体を自らの体に造り替えそこへ意識を写すことによって。
彼が長い年月の間に蒐集した死は軽く万を越える…ひょっとしたら億かもしれない。
血の流るる戦場へ
飢えと乾きの飢餓の国へ
殺戮のあった町へ
彼は悉く死を集めた…だが足りなかった、そう足りなかったのだ。
それで至れたのは魂の原型ではなく、魂の方向…起源までだった。
同時に形にこだわることなく様々な流派を学んだ。
しかし自らの到達に必要なしと判断した場合すっぱりと棄てた。
努力が認められ加入が認められても自分の目的にそぐわないのであれば全く興味はないとでも言うように。
そして傷んだ赤色…至高の人形師蒼崎橙子と出会う。
その辺りにいきさつは今更語るまでもあるまい…
今語らなくてはならぬのは…魔術師の過去であるからだ。
今、彼は血塗れで倒れている。
それは蒼崎橙子に始めて会ってからしばらくたってからのことだった…


「うう………」
もはや何時死んでもおかしくない体を引きずって起きあがる。
あれだけいた同士達は一人たりとも残ってはいない。
(忌まわしきは"抑止力"まさかこれほどまでとは…)
彼らは100を越える魔術師と一人の魔法使いまで揃えて目標を達成しようとした…しかし結果は見ての通り全滅である。
(確かに勝てるだけの準備を調えて挑んだ…だが奴はそれ以上の力を持って現れる)
辺りには血さえも残ってはいない、まさしく一瞬で一撃で100もの魔術師とそして魔法使いすら屠ったのである。
魔法使いは破壊の魔法の使い手だった、弟子は一人。蒼の名を持つ者。
一撃で視界にある全てを屠るその魔法使いすらで…アレの前では全くの無力であった、
砕け散った天獄を握りしめ―――彼が助かったのはひとえに切った箇所に結界を作り出すこの宝刀のおかげである。
結局………
(私には才能がなかった)
血だらけの体を引きずりながら…
(私は矮小な存在だった)
仲間達の死を集めていく…
(私には誰も救えない………)
そしてこの記録は終わりを告げる。
最後に残ったのはこの言葉…
ワタシニアダレモスクエナイ
ただ悲しきその言葉のみだった。


〈End〉

こんにちはhitoroです
信頼回復の為全力投球で書かせていただきました。
ええ…しかしむしろこんなスプラッタのじゃ気に入っていただけないかも…
恐いです…
何度か友人に読んでもらっておかしい箇所訂正して貰ったり。
何度も読み返して訂正したり…
今の自分に出来る精一杯をこの作品にぶつけました。
楽しんでいただければ幸いです。


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