廃墟の中で

 オレンジ色の人形師と呼ばれるこの私、蒼崎橙子がその人物と会ったのは、今からちょうど八年前のことだった。
 必要なら何月何日に会ったのかということすらはっきりと思い出すことが出来る。
 と言っても何かの記念日だったとかそういう理由ではない。
 たまたまその少し前に嫌な出来事があって、それでその日付けを克明に憶えているというだけのことである。

 嫌なことと言うのは他でもない、私の妹のことである。
 昔から気に入らない奴ではあったが、それでも姉妹なのは仕方がない。
 頼みたいことがあるから久しぶりに会いたいと言われれば断わる理由もないだろう。
 それに何よりあの生意気な姉を姉とも思わない女に貸しが出来るのだ。これほど上手い話もあるまい。
 だが、あのド畜生な妹は私の想像以上に悪辣だった。
 待ち合わせ場所に現れるやいなや破壊呪文を詠唱し、私の魔眼封じの眼鏡を強奪しやがったのだ。

 挙句の果てに「人助けに使うんだから恨むまないでね」だと? 盗人猛々しいとはこのことだ。
 今度会ったら、問答無用で影絵の魔物をけしかけてやる。

 ……まあ、いい。それは本題には関係のない話だ。

 妹と会ったのは日本でのことである。私が所属している学院を離れ、しばしの帰郷をしていた時のことだった。
 一時的な帰郷であるからには学院に戻らなければならない。
 恨みを晴らさないまま戻らねばならないのがまた殊更に私の感情を逆撫でする。
 これというのも全てあの腐れ妹の所為であると言えよう。
 そんな理由で、学院に戻ったばかりの私はこれ以上はないほど苛立っていた。
 あとから聞いた話では、殺気立った私に脅えた徒弟たちが泣きついた所為で、
 アルバや荒耶と言った私と親しい連中は閉口したそうである。

 今にして思えば、私があの任務を命じられたのは一時でも学院から離して
 頭が冷えるのを待とうという長老どもの浅知恵であったのかも知れない。
 相も変わらずの仏頂面で出頭した私に命じられたのは、フランスの小さな街を捜索しろという任務だった。
 聞けば、数百年も前に協会から教会に鞍替えし、最後には死徒になっていた魔術師がそこにいたらしい。
 
 何回となく転生を重ね、現在まで生き続けたのだそうだ。
 いた、と過去形で言うのは現世では既にその魔術師が死亡しているからである。
 その死骸は教会に押収され、街そのものも焼夷弾で焼き滅ぼされたのだそうだ。
 だが、相手は数百年を閲した魔術師である。
 何らかの封印や次元の断層を作って研究の成果を隠していると言うことは充分に考えられる。
 そこで、協会からも誰か人を派遣して確かめねばなるまいということなのだそうだ。

 なるほど、主旨は解る。解るが、なぜそれが私でなければならないのか。
 封印だの次元の断層だの、そんなものは人形師である私ではなく、結界を得手とする荒耶の領分だろうに。
 口を尖らせて抗議するが、長老どもの言い分は簡潔だった。
『断わられ、しかも臍を曲げられた』
 と言うのだ。荒耶は元密教僧で、死の蒐集を行っている男である。
 その彼に任務を命じるに、なぜ全てが終わってから命じるのだと抗議されたのだそうだ。
 死徒となった魔術師の存在が発覚した時点で命じてくれれば、またとない死の蒐集が出来たはずだと言うのである。

 全く奴らしい言い種だった。

 そうなると頼もうとしても人がいない。協会内にも色々と派閥があり、ある派閥に頼めば他の派閥から文句が来るからである。
 一番良いのは死んだ魔術師と同じ分野を研究している者に頼むことだが、
 この場合には派遣された者が研究を着服してしまう危険性がある。
 そこで研究している分野も違い、東洋出身ということで派閥に属していない私と荒耶に話を持ちかけたのだということだった。
 さて、いくら命令とは言っても魔術師にはそれを拒否する権利がある。協会はあくまで互助組織でしかないからだ。
 それにも関わらず私がその依頼を受けたのは――――まあ、ちょっとした気紛れのようなものだった。


 

 私がその街についたのは、依頼を受けてから二日後のことである。
 一番近い隣街からでも車で半日かかる、のどかな山間の街だった。
 タクシーでも頼もうかと思ったが、どの運転手に頼んでも青い顔で首を振る。
 あの街は悪魔に滅ぼされた街だから近づいてはいけないと言うのだ。
 この科学全盛の世に信心深いことだと思ったが、どうやら目撃者がいたらしい。
 壮年の、タクシーよりもトラックの運転手が似合いそうな男は子供のように震えながら話してくれたものだ。
 白いドレスを纏った金髪の女悪魔が、街中の人間を皆殺しにしたのだと。

 彼の兄がその街に住んでおり、所用で会いに出かけ、街の入り口に車を止めた時の話だったそうだ。
 その女悪魔が誰かは知らないが、恐らくは教会の関係者だろう。もしかすると噂に聞く埋葬機関の人間かも知れない。
 さて、そうなると困ってしまった。生憎とその時の私は運転免許を持っていなかった。レンタカーを借りても運転できないのだ。
 こうなれば誰かに暗示をかけるか、と思った時のことである。

「あの街に行きたいのなら、私が同行しようかお嬢さん」

 横合いから掛けられた声に、私は驚いて振り返った。
 今の今まで、そこに人がいるということに気がついていなかったのだ。この私ともあろう者が。
 そこにいたのは、片眼鏡をかけた紳士だった。
 年齢はと言えばこれがハッキリしない。二十代ではないのは確かだが、では幾つなのかと問われると首を傾げざるを得ない。
 三十代にしては雰囲気が重々し過ぎるし、四十代や五十代にしては覇気がありすぎるのである。

「あなたは……?」
「なに、通りすがりの観光客だよ。そしてあの街に用事がある。君と同じだ。それだけで充分ではないのかな?」
 そう言って片目を瞑ってみせる。悪意は感じないが、だからと言って気を許すわけにもいかない。
 協会内の誰かが死んだ魔術師の研究を狙っているのかもしれないからだ。

「ああ、生憎と私は君と同じ機関には属していないよ。かと言って十字架の眷属というわけでもない。
 私があの街に行くのは、単に後片付けをするだけだからね」
 協会でも教会でもない、と言うことはこの男は――――!

「死徒……!」
 咄嗟に魔力を練りあげようとした私だが、身体の異常に気がついて愕然とした。
 体が動かない。金縛りである。頭部しか自由にならないのだ。
「ふむ、才能はあるが惜しむらくは経験が足りんな。ま、これからに期待だ」
 見れば、男の右足が軽く私の影を踏みつけている。まさか、これだけで――――?
 笑いながら男が軽く足を持ち上げる。その瞬間に金縛りが解け、私はそこにへたり込みそうになった。
 驚愕の視線で男を見つめる。足で影を踏むという動作だけで金縛りをかけるなど、とても凡百の術者に出来ることではない。
 まして、彼は魔力回路すら作ってはいないのだ。
 協会内に、いや封印指定の魔術師の中にすらこれだけの使い手は存在しない筈だった。

「すまないね、お嬢さん。だが、私が君に敵対する気はないと解っていただけたと思うがいかがかな?」
 彼の問いに、私は首を縦に振ることしか出来なかった。
 もしも彼がその気であれば、私は既に三途の河原で祖父と再会していたのは間違いなかったからだった。 



 結局のところ私は彼の提案を受け入れ、彼の車で目的の街に向かうことになった。
 驚いたことに彼は死徒であるというのに日光に当たっても平気だった。何がしかの術を使っているのだろう。
 彼の提案で、私たちはお互いに名前を名乗らないことにした。お互いが誰か知れば後々面倒だというのである。
 それは確かにそうかもしれない。これほどの実力者なのだ。話に聞く二十七祖の一人と言っても不思議ではないだろう。
 協会の人間がそんな存在と接触を持ったと教会に知れれば面倒である。つつしんで提案を受け入れることにした。
 車で街の中心部まで乗り入れる。
 古い街並みが幸いしてか炎に包まれた後も石造りの建物は往時の光景を今に伝えている。
 だが、皮肉なことにその事実は街の荒涼感を増すだけの役割しかしていなかった。
 驚いたことに、彼は魔術師の住み処をすら知っていたようだ。迷わずに一件の家に入り、崩れかけた階段を上って行く。

「パン屋……?」
 焼け焦げた看板や、店内の様子からそう見当をつける。
 慌てて彼の後を追い、二階の部屋に入る。どうやら私を待っていてくれたようだった。
 そっと中空に手を伸ばす。なにかが弾けたような音がして、彼の手元に一冊の本が現れた。
「これは……日記?」
 中に目を通す。どうやらこのパン屋の看板娘だったのだろう少女のものだった。
 自分の中に現れた別人の記憶との葛藤、そして悪魔憑きだと罵られたことへの怒りや悲しみ、
 時間の経過と共に消えて行く自分を何とかして残そうとした少女の、それは戦いの記録だった。

「君が持っていたまえ」
「え、でも……?」
「その日記を書いた少女は、誰にでも良いから自分がいたことを憶えていて欲しかったのであろうさ。
 私のような老人が持つよりも、同じ年頃の君が持っていたほうが喜ぶだろう」
 そう言って悲しそうに日記を見つめた。

「……馬鹿弟子め。これで何回目だと思っている。もういい加減に楽になればよいものを……!」
 そうか、と私は思った。この街にいた魔術師は死徒だと言っていた。
 同じく死徒であるこの男と関わりがあっても不思議ではなかった。
「持っててやってくれ、お嬢さん。その日記は、あいつに憑依された少女の記録であると同時に、
 あいつが確かにここにいた記録でもあるのさ」
 呟きながら窓の外を見つめる。

「……あいつはな、お嬢さん。人を嫌っているようでいて、それでいて人一倍淋しがりやな奴だったのさ」



 問わず語りに男の話を聞いて外に出ると、もう夜になっていた。
 青い月の光が世界を照らし、廃墟の街を優しく包んでいる。
 彼の話によると、その魔術師は既に研究をしていなかったらしい。
 永遠を希求した魔術師は死徒となって永遠を手に入れた。だから――――そこより先には何もない。

 良いかねお嬢さん、と彼は言った。

『永遠なんてモノに意味などない。それは本来無意味で、それ故にこそ永遠なのだから。
 間違ってはいけない。君が、本当に求めているモノを――――』

 車に向かって歩き出した私の足が止まる。
 あれは、何だ……?
 一体の、岩で作られた巨人が車の前に立ち塞がっている。その周囲には何十匹かという化け物ども。
 何種類かの動物を混ぜ合わせたような合成獣どもだった。
 その中心で、品のない顔の男がニヤニヤと笑いながら私を見ている。

「アオザキ、魔術師の研究成果を渡してもらおうか」
 私の名前を知っているとは、恐らく学院の者だろう。だが、言ってはナンだが小物だな。
 本当に私から何かを奪いたければ、口上より先に攻撃をすべきだ。……あの、クソ忌々しい妹のように。
「どうしたね、お嬢さん」
 怪訝そうな声に振り向く。彼が面白そうな顔でこちらを見ていた。

「ははぁ、さては君に渡したモノを横取りに来たというわけか。下司の考えそうなことだな」
 そう言って無造作に私の前に出る。止めようかと一瞬思ったが、彼の実力を思い出して苦笑した。
 私のような未熟者が彼を止めるなどと、それは失礼に当たるだろう。
 だが、目の前の小物はそうは思わなかったらしい。顎をしゃくり、彼を叩き潰せと岩巨人に命令する。 
 風を切る音と共に岩の拳が振り下ろされ……粉々に砕け散った。
 下から無造作に突き出された男の拳が岩巨人の手を砕いたのである。

「な……?」
 目を丸くする小物に向かい、男は聞き分けのない子供に語るかのように話し出した。
「この世界で一番固い物質は何だか解るかね? そう、ダイヤモンドさ。だが、コレがなかなかに曲者でね。
 元素から考えると炭素の一形態に過ぎないのさ。現に人造ダイヤは炭素を高温高圧に圧縮して造るのだからな」
 言いながら上着を脱ぎ、袖を捲り上げる。顕わになった両手の肘から先が透明な輝きを放っていた。

「そして、有機物と言うのもすべからく炭素で出来ている。燃えれば炭になるわけだからな。
 そう考えれば、全ての有機物はダイヤモンドに変えることが出来ると言うことになる。……この、私の拳のようにな!」
 そこからはまるで喜劇のようだった。男の拳が命中するたびに巨人の体が崩れていく。
 見上げるくらいの大きさのそれが崩れ落ちた瓦礫の山になるのに一分もかかってはいなかったと思われた。

「こ、殺せ、その男を殺せ!」
 小物の号令と共に殺到する合成獣たちを歯牙にもかけず、男は面倒くさそうに呟いただけだった。
「……生憎だが、お前では役者不足だ」
 彼の足元から湧きあがる光に当たった獣たちが次々にダイヤモンドに、宝石に姿を変えていく。
 そしてそれは小物も例外ではなかった。
 驚愕の表情を湛えたまま彫像と化した小物を見つめ、男はつまらなそうにこう言った。
「美しくないな」
 その言葉と共に炎が巻き起こり、ダイヤモンドの彫像たちを包みこむ。
 そしてその炎が消えた時には――――完全に炭と化した獣たちのなれの果てがあるだけだった。



 話はこれで終わりだ。
 男とは隣街で別れてそれっきりである。
 私は協会に帰り、街であったことを報告した。もちろん日記の件は伏せてである。
 男との邂逅は協会内にちょっとした波乱を巻き起こすことになった。
 何しろ現存する五人の魔法使いの内の一人、既に伝説となった人物だったのだから仕方がない。
 だが、男が一枚噛んでいると言うことで協会はこの件から手を引くことにしたらしい。全ては丸く収まったということである。

 ところで男も気がつかなかったことが一つある。例の日記ではあるが、ところどころに魔術に関する走り書きがしてあったのだ。
 恐らく、少女と魔術師が身体の支配権を巡って争そった時の余波だろう。
 この魔術師、本来は人間ではなく人形に自らの魂を移すつもりでいたらしい。
 考えてみれば当然だ、教会は転生を否定しているのだから。だが、人形に魂を移せばそれは転生とは言わないだろう。
 そしてその為には精巧な人形がいる。
 
 自分以上の能力を持つわけではなく、かと言って自分以下の能力でもない自分と同一の器である人形が。
 どうやらこの魔術師は失敗したらしいが、私なら上手く出来るかもしれない。少なくとも試してみる価値はありそうだ。
 幸いにして基礎となる理論は日記に書いてある。あとは実践あるのみだった。



 不幸にも実験が成功してしまい、私が封印指定を受ける三年前の出来事である――――

<後書き>
 えー、ということで真です。
 最近『意表をつく男』として定着しつつある私ですが、またまた意表をつかせて頂きました(笑)
 月姫キャラも出てるようで実は出てないと言う微妙なバランスに苦労いたしました。
 あ、ちなみに文中の魔術師と死徒のオジさんが師弟関係なのは私の捏造ですからね。公式設定じゃないですよー
 ではではー

 


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