我 、 今 宵 、 カ ノ 者 ヲ 待 ツ 深い闇。 囚われたたら二度と抜け出すことができないような、塗り込められた黒。 すべてが虚無につつまれていく、何も光を発しない、何も力を振るわない。そんな――黒。 その中でひとりの男が座禅している。 目を閉じ、ただひたすらに、思索にふけっている。 まるで彫像のようだった。 昏く古い闇に囚われた影を思い、ただそれを見据えているかのよう。 なぜ目も開けてもいないその彫像を見て、そのように思ってしまうのか? その顔にあるのは深い苦悶。 絶望と諦観、そして――――――そして怖いほどの渇望。飢え。 悟りをひらいたかのような男の顔には、それらが刻まれていた。 深く皺のように刻まれた苦悩。 目元には虚無。 口元には悲哀。 何もかも、世界に存在するすべてを否定し、嘲け嗤っているかのような――。 もはこの彫像に題名をつけるとしたらなんであろうか? 苦悩の果ての渇望? 否定の中の肯定? いや――――それよりも相応しい言葉がある。 地獄。 堕ちた罪人が苦しみ悶え哀しみ、なおも極楽を求めてわななき求める矛盾した概念。 そう、地獄とつけるだろう。 その彫像が動き出す。 まるで生き返ったかのよう。 まぶたが微かにふるえ、目が静かにひらく。 口がかすかにひらき、たまっていた澱を吐き出すかのよう。 地獄という言葉が相応しい男――荒耶宗蓮は思索を終わらせた。 数々の死、数々の魂。そして数々の体験。 なぜ人は苦しむのか――。 その答えはでなかった。 徳川幕府が開くあたりに荒耶は生まれた。 すでに死は蔓延していた。 関ヶ原での戦いによって雌雄は決したとしても、武将や侍たちはいい。しかしかり出された百姓達は。 たしかに栄誉を、報償を諭されたかもしれない。 しかし大抵の者はただ戦いたくなどなかった。女房子供から引き離されて、知らぬ土地で死ぬ。雑兵としてあたえられた武器も粗末なものばかり。 それでも戦った。生き延びるために。 これで平和がくる、などとは思ってもいない。 そんな大層な意志をもつて参加したものなどいない。 かり出した侍や武将は恩賞や武勲のため。かり出された百姓は戻るため。生き延びるため。 戦は酷いものだった。 轟音。 馬の嘶き。 鬨の声。 声をあげてなければ腰が抜けてしまう。 声をあげなければ手にした刀が重くて振るえない。 混乱。 土の臭い。 汗の臭い。 血の匂い。 けぶるような太陽。 蒼いはずの空は目にも入らない。 吹き抜ける清々しいはずの風など気にできない。 右も左も敵。 とにかく武器をふるう。 近寄るな、近寄るなと。 それでも出逢ったのならば殺し合う。 敵? 味方? そんなことさえ思わない。 動いて武器をふるっているから敵。 殺さなければ殺される。 その重い獲物を相手の体にとにかくあてる。 あたれば相手は、魂が消えるような悲鳴を長く、とても長くあげる。 その声は二度と忘れられない。 でも、そのときだけ忘れられる。 たがらまたふるう。 もう武器もなく、おどおどと震え怯えている敵にふるう。 言葉は通じない。そのための方言だから。 言葉は通じない――なにをしゃべっているかわからない。もしかしたら援軍を呼んでいるのかもしない。 だから速く。 獲物をふるい、息の根を止める。 血飛沫があがる。 心臓の鼓動にあわせて血が吹き出る。 柔らかい地面に穴を掘るようななじんだ感触。でも一生馴染めない感触。そしてかつっとまるで固い石にあたったところでとまるところまで同じ。 相手が動かなくなってもふるう。生き返るかも知れないからだ。 後ろを振り向いたら、起きあがってきて殺されるかも知れない。 だからさらに振るう、ただ肉塊になるまで。 そうして生き延びてもまた敵がきて、その者の命も奪われる。 それが戦場だった。 荒耶は運良くそういった戦場から逃れることが出来たが、小さい頃、かり出された。 仏門にはいっていても関係ない。 僧籍にあっても関係ない。 信長の焼き討ちにあるとおり、宗教に入っていたとしても、戦いは、死は忍び寄るのだ。 だから戦わなくてはならない。 死なないために。 いくら修行し、いくら神通力に通じても、誰のためにも成らなかった。 108ある煩悩が、人を苦悩に陥れる。 救いたいのに救えない。 身の丈のことしかできない。 偉大な僧でも、偉大な武将でも、偉大な英雄でもない。 だから救えないのは当然だった。 しかし。 荒耶はそれでも救いたかった。 世界には死が蔓延していた。 死が支配し、人間を翻弄していた。 だから荒耶は異国に拠り所を求めた。 出島となり、九州でしかその知識は得られなかった。 そこで得た伴天連の知識。基督教の教え。 愛。 すべてを慈しむもの。 そのころの日本には恋しかなかった。浄瑠璃で、恋とは合ってはならない二人が引き寄せられ。まるで火に飛び込む蛾のように情死を迎えるというもの。 荒耶は愛こそはと思い、広めた。 そのころ、島原では天草四郎がいた。 明晰で、伴天連の音となるべく生まれた子だったという。 一目会いたかった。 そうすればこの苦労が――なぜ人は救われないのか、なぜこの世苦しみに満ちあふれているのか。それを論じたかった。 いや。 荒耶にも救いが、救済が欲しかった。 ただ欲しかった。救って欲しかった。 この死が蔓延し、ただ苦しむという世界においての意味はいったいなんなのか、と――。 しかしそれもかなわなかった。 目の前に広がるのは屍の山だった。 島原の乱。 立て籠もった基督教信徒がパラソラへ、と合い言葉に戦い続けた殉教の場。 それに対して圧倒的な戦力で鎮圧にあたる幕府軍。 悲惨だった。 首の数をあげるため、ひとつの首を何個化にわって増やしたと言われるこの戦いは凄惨なものだった。 ここにも救いはなかったのだ。 救済をいいながらも、戦いでしかそれを得られない。 荒耶はただ涙する。 しかし戦うしかないのは確かだった。 伴天連の基督教徒は張り付け獄門と決まっていた。 主君である藩主、ひいては主君である徳川家ではなく天にいるデウスを崇め、唯一絶対の君主というのだから。 それでは統率というものはできない。だから殺すしかない。 宗教に助けを求めても、求めても、得られない。 ただの絶望と苦悩のみ。 ――……あぁ 荒耶は震えた息を吐く。 それでも救いたかった。 人間はこんなにも愚かではない。 そう信じたかった。 それから300年。徳川の時代は続いた。 飢饉、改革、そして飢饉。 虐げられる人は変わりなかった。 様々な死を見た。 子をかばって殺される母がいれば、生き延びるために子を殺す母。 死体を掘り返してたべる者。 野盗におち、とらえられ処刑される者。 村八分。 ただ――小豆を盗んだからという理由で殺される子供。 神隠しの名のもと殺され惣名主に逆らった人。 畜生哀れみの令にて、人間よりも大事にされる犬畜生。 子供のため秘薬となる燕を殺したことにより切腹させられた侍。 無知と畏怖と迷信だけがはびこる。 なんて――無昧。 なんて――無情。 そして黒船。 そのためにひき起こる尊皇攘夷と倒幕論。 そして斬り合う。殺し合う。苦しみ合う。 この世をよくするため、などいって悲惨な結果を引き起こす。 無惨な殺し合い。 死。 死。 死。 この世は地獄だった。 それでも、死を蒐集した。 死こそがすべてに通じる最後の門。 それにこそ、涅槃にいたる道。 身なりは僧のままだが、荒耶はすでに僧籍を捨てていた。 僧でいられなかった。 神仏に祈っても、教典を読みふけっても、何も得られない。 どんなに素晴らしい教典に人類の深い叡智が書かれていても、それでは人を救えない。 より深い絶望へと突き落とされるだけ。 これほどの叡智が昔からありながら――ひとはけっして幸せになれない。 ただ苦しみ合うだけ。 死。 死。 死。 見回せど、見回せど、死しか見えない。 薩長同盟。 戊辰戦争。 そして日本は回国し、一気に西洋化した。 それでも。 人は苦しみ、這いつくばって生きなければならかった。 這いつくばって、尊厳を忘れ、虫けらのように。 巻きあがる富国論。 また――死の臭いが感じられる。 そして大陸への進出。 まぶたが凍り付く凍てつく寒さ。 見知らぬ大地にて、強国の論理によって、弱者を踏みにじる。 死の螺旋。 苦悩の螺旋。 永劫に続く。 果てなき――螺旋。 いつしか心が動かなくなった。 何にも動じなくなった。 冷たい石のよう。岩のよう。 ただ平然と死をみることができるようになった。 いつのころか――。 ただ歩みは止められなかった。 死を蒐集し、整理し、そして涅槃へと――西洋文明でいうところの「 」――に至る道を探す。 探し求めて、そこに辿り着く。 ただ――それだけ。 体がいくらボロボロになっても、心がいくら折れ曲がっても、それだけは手放せなかった。 ただ――それだけに固執した。 死。 死。 死。 それがいつも荒耶の側にいた。 一人の女が囁いたことがあった。 「あんたはん、どこへいきなっしゃんの?」 なんとなく救った女。たかがお金がない、それだけで死ななければならなかった女を気まぐれで助けた。そしてお金を与えた。もしここで生きれば死はどのような反応を示すであろうか? 荒耶からればただの実験だった。 その女は感謝し、お金の工面がつきたと喜び、感謝した。 半年後そこを訪れると、その娘は死んでいた。 流行病だった。 儚い笑みをうかべる良い女だった。 それを思い浮かべると、岩のようだった心がかすかに動いた。 ただ――それだけ。 たとえ何百年いきても死を欺けない。 苦しみは常に蔓延している。 太平洋戦争も終わり、日本は焼け野原になった。 廃墟と死。 やはり、それしかなかった。 すべてはそこへと収斂していく。 死。 死。 死。 日本はGHQに支配され、また人々は闇市をつくり、盗み、奪い、騙した――生き延びるために。 支配と被支配の構図。 何も変わらない。 そうして生き延びても、すべては死へと。 魂はこの地がはなれ、涅槃へと赴く。 この世に救いなど――ない。 なんて――無昧。 なんて――無様。 生というのものはなんと無意味。 死という絶対的なものに対して、なんて曖昧。 生とは空虚。 どんなに成功を収めても、どんなに立派に輝くような生き方をしても。 数百年後にはただの塵芥と化す。 意味ある生など――ないのかもしれない。 もしかしたら、生きる、ということは、罰なのかもしれない。 ただ――苦しむためだけに、人は生きている。生かされている。 人類の集団深層心理によって。 抑止力の名のもとに。 ただ――生かされている。 ただ――それだけ。 それだけが、荒耶が数百年かけて見ることが出来た、たったひとつの真実。 そして、英国へわたり、学院に属する。 知らない術。仏教とも修験道とも神道とも違う見知らぬ世界。 錬金術、魔術、西洋魔道。 魔術を魔法にすることなどに興味などなかった。 だから師に問われても、何も望まない、と告げた。 嘲笑。しかし気にも留めない。 ただ邁進するのみ。 「 」に至るため。 そこにさえ至れば。 至りえすれば。 そうすれば。 ゆっくりと一歩一歩確実に歩く。けっして歩みを止めない。 矮小な存在。 荒耶は自分が英雄でないことも知っている。 魔術師としても三流であると知っている。 人が人を救えないことも知っている。 だからなんだというのだろうか? 歩みは止めない。 ただ――挑む。 たとえ何度敗れても、立ち上がり、挑む。 立ち上がれなければ這ってでも。口で地面に噛みついても。 荒耶という存在がある限り。 宗蓮という意志がある限り。 けっして――歩みは止めない。 そして、矛盾する螺旋の果て。 「 」につながる少女に。 ようやく見つけだした「 」に至る道。 そう「 」に至るのは方法ではない。 「 」に至ることができる人間とそうでない人間がいるだけ。 どんなに苦悩しても、渇望しても、絶望しても、修行しても、まったく無意味。死と同じ。すべてのものは絶対的な存在の前ではただの塵芥と同じ。 うっすらとあけた荒耶の深く昏い瞳には何も写さない。 ただ見据えているだけ。 死を。 そして、その先を。 「 」と呼ばれる根源を。 ただ――ひたすらに。 ただ――一歩一歩邁進するだけ。 それは八卦を束ね、四象を回し、両儀を経て、太極へと至る。 今宵、相克し反克する矛盾螺旋にてかの者を待つ。 この死が渦巻く、矛盾回廊にて――。 了 あ と が き 荒耶さん、です。 投稿していいのは、3つ+ハロウィン。 これは橙子さん、荒耶さん、アルバさん、そして玄霧さんを書くように、という須啓さんの思し召しですね、と思っています(笑) えぇそういう電波をビビビと感じました(ひくってば) 橙子さんに全力を注いだので、他の2人はできるかどうか……。 ネタがでれば、ということで。 ではまた別のSSでお会いしましょうね。
|