空の境界 Short Story |
a piece of scenery |
Presented for Tohko Aozaki |
なぜ、引き出しの奥にしまったのか。 その理由すら忘れてしまったというのに、それは今、依然としてわたしの手の中にある。 あの日より、わたしは少しだけ歳を経たというのに―― 写真の中の風景は、あの頃と何一つ変わりなかった。 ◇ ――眩しい。うんざりするほどに眩しい。 出来るだけ慇懃無礼[インギンブレイ]にならないように告げて退室すると、途端に陽光が身をつんざいた。思わず閉じた瞼[マブタ]の裏を、真っ白に染めるほどの強い陽射し。 ロンドンの太陽は今日も絶好調らしい。とびきり嫌味なくらいに張り切っている。どうやら、レポート製作のために2日完徹した寝不足のわたしを殺す気らしい。 くそっと毒づいて、明かり取り用の窓から避難しようと足を動かしたとき。 スッ――と目の前が翳[カゲ]った。 誰かが……あるいは何かが、採光の窓の前を遮[サエギ]ったのだろう。 ちらと視界の端に映った色は赤かった。 「誰だ」 誰何[スイカ]の声を上げはしたけれど、それが誰かなんてのは分かりきっていた。この時間、この場所で、そんな奇天烈[キテレツ]な格好した男なんて学院中を捜したって一人しかいない。 だから、これは単なる事実確認。社交辞令。故に、語尾に疑問符すらつけていない。 「やあ、アオザキ。僕だよ、コーネリウス・アルバこと超絶美男子だ。そんな僕に向かって、誰だ、とは随分と他人行儀な物言いだね」 独特の発音でアオザキ、とわたしの名前を呼んだ男は、悪趣味極まりない真っ赤な法衣を、わざわざバサッと翻[ヒルガエ]らせて現れた。 「他人行儀も何も、お前とわたしは正真正銘、赤の他人だろう」 「酷いな……ああ、酷いよ君は。僕は海よりも深く傷ついたよ」 ありきたりな表現を口にして顔を歪める男。 柔らかい金髪はふわふわと頼りなく、そよと風が吹く度に揺れている。中途半端な長さに伸びているその髪を、一度、彼が寝ているときに刈り上げてやろうとしたことがある。その計画は惜しくも、荒耶の唐変木[トウヘンボク]のせいで未遂に終わったが、その機会があれば、とわたしは密かに狙っている。 わたしは軽く肩を竦[スク]めて言った。 「あまり莫迦[バカ]なことばかり言うな。そうでなくともお前は莫迦なんだから、余計に他者から見て莫迦に見えるぞ」 言うなり、ピキッと音を立てて、その軽薄めいたアルバの顔に青筋が浮いた。だのに、無理してそれを隠そうとするものだから、まるで顔面神経痛のようになってしまっている。はっきりいって不細工だ。 あははっ、と遠慮なく笑い声を上げてやると、 「……アオザキ。君はもう少し、年長者を敬うということを心がけた方が良い、と僕は忠告しておくよ」 わたしは頷いた。 「ああ、ありがとう。では、わたしはその忠告に従って、お前にステキな墓石をプレゼントしてやろう。これで、いつでも遠慮なく逝くことが出来るぞ」 ついに、アルバの顔は崩壊した。 つくづく単純な男だ。 一口含むなり、わたしは顔をしかめた。 ……苦い。なのに、甘過ぎる。 なんていい加減なコーヒーなんだ。 わたしは顔をしかめながらカップを傾けた。どろりとした黒色の液体が喉[ノド]を通る。はっきりとマズイ。 わたしに、コーヒーを美味く淹[イ]れる能力は無いようだ。というより、それ以前の問題――淹れ方が間違っているのかもしれないが。 小鍋に、挽[ヒ]いたコーヒー豆と大量の砂糖を投入し、泡が出るまで煮立てる。その後、別の容器に移し、粉が沈むのを待ってから飲む――のだが、どうにもマズイ。 ……やはり、コーヒーを淹れることが出来る人物が身近に必要か。 わたしはそんなどうでもいいことを再認識した。 「いやあ、いい天気だね」 空を見上げ、どうでもいいようなことを言ったのは、どうでもいい男のアルバだった。その言葉に対する反応は何も無い。 再び、沈黙が場を支配する。 どこかで小鳥が囀[サエズ]った。 吹き抜ける風が、とても心地良い。 太陽が燦々[サンサン]と照りつける中庭には、病的なほどに白い丸テーブルが置かれている。そしてそれを囲むように、これまた真っ白な椅子[イス]が3つ並んでいた。その上に、椅子と同じ数の魔術師が腰掛けている。それぞれに持ち寄った飲み物を片手に、昼食後の一服、といったところだ。 「それで――どうして、わたしがここにいるのだ」 真っ黒な装いをした男が言った。その問いに対しての答えを返そうとすると、 「おや、君らしくないな荒耶」 つい先ほど黙殺してやったばかりのアルバが、懲[コ]りずに茶化した。 「コギト・エルゴ・スム――我思う故に我あり……じゃないのかい?」 「戯[タワ]け」 たった一言でアルバを斬り捨てると、その透徹した視線はわたしに向けられた。 「答えろ蒼崎」 「そうだなぁ……」 強[シ]いて理由を上げるとすれば―― 「なんとなく」 「……む。眩暈[メマイ]が……」 皺[シワ]の寄った眉間を抑える荒耶。彼にしては珍しくウィットに富んだジョークだ。まあ、それはそれで見ていて面白いのだけど、それでは話が進まない。仕方なく、彼らを召集した理由を素直に告げる。 「今日、出された課題が何だったか覚えているか?」 「アオザキ……。君、また講義中に寝ていたんだね?」 「それは言いがかりだぞアルバ。わたしはきちんと起きていた。ただ、ジジイどものつまらん与太話など聞く耳を持たなかっただけだ」 「どちらにせよ、説話を聞いていなかったという事実に相違[ソウイ]あるまい」 同じことよ、と面白みの無い口調で荒耶が言うと、いやいや寝るより性質[タチ]が悪いと思うよ僕は、とアルバの莫迦が笑いやがった。 取りあえずアルバの紅茶に砂糖を死ぬほどぶち込んでやってから、わたしは荒耶に向き直った。 「どうせまた、在ることの定義やらの詭弁[キベン]を弄[ロウ]せと言うんだろう?」 わたしがコーヒーを口にしながら問うと、 「否」 荒耶は短く否定した。 一方、隣のアルバはというと、だだ甘な紅茶を飲んで悶絶している。ぐわあ、なんて楽しい悲鳴を上げて紅茶を捨てようとする。が、荒耶の鋭い一瞥[イチベツ]を食らって、それを余儀[ヨギ]なくされた。どうしたものか……と途方に暮れている。 フン、いい気味だ。 荒耶は自分で持参した番茶の一種――焙[ホウ]じ茶で舌を濡[ヌ]らすと、 「汝[ナンジ]、何を求めるか――だそうだ」 「何を求めるか……か」 思わず、鸚鵡[オウム]返しに繰り返した。 ――わたしは何を求めているのだろう? 否、魔術師が求めるものなど決まっている。だのに、それに疑問を覚えてしまっている……わたしはどうかしている。魔術師として、『至る』ことを忘れている。 忘れている? ……ああ。これではまるで、わたしは――本当に欠陥品じゃないか。 わたしは―― ふうと嘆息した。 そんなのは今更考えることじゃない。 「お前は何を求める?」 ふと学友の意見が気になった。足を組み直し、さり気なさを装って訊ねる。 「そうだねえ、僕は――」 「黙れアルバ。お前には訊いてない」 にべもなく告げると、アルバは不意にうつむいた。何かをぼそぼそと呟いている様子なので耳をそばだててみる。 ――と。 「……クソッ、どうして僕ばかりそうやって扱いが酷いんだ! おかしい! これはおかしいじゃないかッ! どう考えても、おかしいよ! そうさ、僕の方がルーンだって専攻していたっていうのに皆して騙[ダマ]されやがって……それこそがアオザキの手管[テクダ]だと、どうして気付かない? 気付けよ! ああっ、そうだとも! いつもいつも食事で奢[オゴ]るのが僕なのは、どう考えてもおかしいじゃないか! 理不尽に過ぎるぞ! 月末になると、ことあるごとに僕の財布を頼りやがって! ああっ、度し難い連中ばかりだよ、この世界は……」 ……なんだか色々と、莫迦は莫迦なりに不満があるらしい。 わたしは嘆息した。 ――仕方ない、少しだけアルバの言うことを聞いてやるとするか。 「ああ分かった分かった。ならば訊こう。アルバ、お前は何を求めるんだ?」 「ああっ! そんなに僕の答えを聞きたいのかい? まったく、仕方ないなあ」 「いいから早く言え」 「はっはっ、分かったよ。うん、僕の求めるものはね――」 「へえ、そう。ふーん」 「僕はまだ何も言ってないぞっ!!」 「言わなくても分かるんだよ、お前程度の考えることは」 だから、そんなに顔を近くに寄せるな。気分が悪くなったらどうする気だ? 「我は――」 荒耶が唐突に口を開いた。 そして、変わらぬ苦渋に満ちたような低い声音で告げた。 風が凪[ナ]いだ。 ◇ それはわたしたちが決定的に枝分かれしてしまった日。 今となっては、この色褪[ア]せた写真の中と各々の記憶にのみ止められる。わたしでさえ、久しく思い出すことのなかったこと。あの二人が覚えているかどうかは分からない。あの、実に下らない過去の日々を……。 わたしは熱に浮かされるままに、写真立てを机の上に立てかけた。頭が霞がかったようにぼんやりとする。風邪でも引いたかもしれない。 ベッドに深くもぐりこむ。 ――今なら、ぐっすりと眠りにつくことが出来そうだった。 あとがき 「実はアルバ好きでしょ?」 魔術師と聞いて、なぜかいちばん最初に浮かんだのが彼でした(笑)。 『魔術師』 学生時代の魔術師さんたちーってな感じでどうでしょうか? 個人的に、お人形さんな橙子さんが書きてーですわ←他人事かよ。 ■では、須啓さん。宴、頑張ってくださいねー。 2002・10・03”夜風が涼しい深夜”四季真 追伸 ■何か感想を贈ってくださるのなら、こちらへ。 ■HPに興味を持ってくれたのなら、こちらへ。 |