/ある神父の最後。「Fate / stay night」


「気分はどうだ。衛宮士郎」
「―――」

胸に突き立った剣をそのままに。
口元から溢れる血をぬぐいもせずに。

黒い神父は自らの胸に刃をつき立てる俺を見て、笑う。

―――そう。
   笑っていた。

愉しげに。
本当に、心からの愉悦に口元を歪めて。

言峰綺礼は自らの死を見下している。

「誇れ。
 お前は、確かに衛宮切嗣の正義を継いだ」

その台詞に嘘はない。

ごぶり、と。
こみ上げ零れる血に、その言葉を濡らしながら、
この神父は、本当に自らを殺す相手を称えているのだろう。

「―――」
返す言葉など、何も無かった。
生憎と、こっちも満身創痍。

どこを傷め、どこが欠け、何が足りないのか、まるで判らない。
圧倒的なまでに言峰綺礼の従えたサーヴァントは強く。
圧倒的なまでに言峰綺礼という代行者は凄まじかった。

今こうして、衛宮士郎が息をしていられるのも、あるいは奇跡に属する事象かも知れない。

―――だが。
同時に、この結末は必然でもある。

そう。あの時。
衛宮士郎は、衛宮切嗣の後を継いだと。

あの時、遠坂を。
桜を処断する、と告げた彼女の背中を見送った俺に。


『―――今のおまえは衛宮切嗣だ。それが勝てない筈がない』、と。


そう告げたのは、他ならぬ言峰綺礼だ。
ならば、この結末は、他ならない奴自身の預言であり、
その最強のサーヴァントたる英雄王の敗北と、そのマスターである言峰綺礼の死をもって。
今ここに、かの黒衣の神父の予言は、真実として刻まれた。

だというのに。

「わたしでは切嗣に届かない。ふん、判っていたことではあるが、
 10年前の再現で、幕を閉じるというのいささか芸がない。そうは思わないか、衛宮士郎」
その当の預言者は、自身の死を、まるで他人事のように見下ろしながら、
いつもとなんら変わらぬ酷薄な笑みをその相貌に貼り付けていた。

まるで―――咎人に裁きを告げる審判者のような笑みを。

「―――何が言いたい」
「聞きたいことがある。なに、そう難しい質問ではない。
 応えるつもりもないのなら、そのまま剣を押し込めばいい」
押し殺した俺の声に、自らの胸に突き立てられた剣を視線で示しながら、
言峰は事も無げにそう言った。

  ただ、剣を僅かに押し込めば。それで、終わる、と。

言峰が告げた言葉は紛れもなく真実であり、
例え、力を込めずとも、奴の命はあと数分と残されてはいない終わった命だ。

「―――こんな時まで、長口上か。お前」
「何、そう長くもない。傷の深さからすれば、もって数分というところだろう。
 自らが殺す相手への手向けだと思えば、その程度の時間ならつき合っても良いのではないかな」
「……今更、お前と話す事なんて、ない」
だが、何故、この体が動かない。

―――だから、早く、殺せ。
   そう、衛宮士郎の理性と本能が告げる。

慈悲である筈はなく。
恐怖である筈もなく。
故に、迷う理由などどこにもないというのに―――。

まるで奴の言葉を待つように
この手は、その僅かな力を剣に伝えることをしなかった。


産まれたのは、意味のない空白の時間。
そして、その乾いた静寂に、奴は満足げに口元を歪ませ、問いを口に乗せた。



「───何故、間桐桜を見殺しにした?」、と。



「―――なに?」
「何故、お前はあの時、間桐桜を見殺しにしたのか、と訊いている。
 懇意にしていた仲だろう。理由も無く見捨てるはずもあるまい」

「何を。あの時、お前は―――」

―――助からない、と。
   生きている限り、桜は人を殺すしかないのだと。
   そう告げたのは他ならない、この男だ。

言葉によらずそう告げる俺を、血塗れの神父は、愉しげに嘲笑い口元を吊り上げた。

「私の言葉を信じたから―――ではあるまい。
 同じ結論は、遠からず凛の口からも、間桐の老人の口からも聞き出せたはずだ」
「―――桜は人を殺すしか生きる方法がなかった。
 それを他に、方法がなかったってだけだ」
「では問おう、衛宮士郎」
答える俺の言葉など、果たしてその脳裏に届いているのか。
そう訝しむほどに恍惚とした熱をその目に浮かべて、言峰綺礼は言葉を吐いた


「生きようという願いは罪悪か」

―――それが、罪であるはずがない。

「人を殺すことは罪悪か」

―――それが、罪でないはずがない。


「人を殺した罪過の報いは、咎人の死でしかありえないのか」

―――そんなもの。
   死を死で償うことなどに、意味は無い。

死の香る声で紡がれていく黒い神父の問いかけに、胸中で紡いだ答え。
しかし、それを口に乗せるはなく、ただカタチにするのは平坦な言葉だけ。

「今際の時には、聖職者らしく、お説教か。
 らしくもない、最後だな。言峰」
「魔術師相手に説く法などあるものか。
 誤魔化すな、衛宮士郎。わたしはただ、お前の正義を問うている」

―――そんなもの。
    今更、問われるまでも、ない。

浮かび上がる答えを、しかし、決して口には乗せず。
剣を手にしたまま、ただ衛宮士郎は、言峰綺礼の言葉を待った。

  たが、それは何故なのか。

そんな疑念を、あるいは言峰自身は悟っていたのか、
血の泡を口の端に滲ませながらも、語る声に焦りは滲みもしなかった。

「生きようという願いが罪でないならば、
 生きたいと願った間桐桜の願いを摘み取る行為に、どこにお前の正義があった?」

「人を殺すことが絶対の悪ならば、
 既に幾つモノ命を手にかけ、見捨てたお前が謳う正義にどれほどの意味がある?」

「人を殺した罪過の報いがすなわち死であるのなら、
 今こうして衛宮士郎が息をしている説明がつかん」

淡々と語る声に紡がれるのは、愉しげに嗤う意図。


―――こいつは、なにを。
  今更、こんな言葉。

「何が、云いたい」
「多を生かす為に、他を殺すことをお前の正義は厭わない。
 なら、己を生かす為に、他を殺し、多を殺すことのどこにその正義との差異がある」

―――助けたいっていう思いが、誤りじゃないのなら。
   生きたいっていう願いが、間違っている訳が―――。

「―――そんなの。
 他の願いを押しつぶしてまで―――」


―――生きて良い、はずがない。

そう続ける言葉は。

「間桐桜が、生きるために他の願いを押しつぶしていたとしても。
 衛宮士郎が、他を守るために間桐桜の祈りを踏みにじることと何が違う」

放たれるのは、断罪の声に消えた。
だが―――それも今更だ。

罪を断じる言葉は、剣になっていくつもこの心に突き刺さっているけれど。
だけど、それでは、もう、倒れはしないって―――決めたのだから。
だっていうのに。

「―――」
今更だって言うのに、この口からは、返す言葉が産まれては来ず、
そして、それを見越しているかのように淡々と、今更ながらの言葉を言峰綺礼は並べてみせる。。

「あるいは、弱いことこそが悪か。
 正義に抗えなぬほどに弱いことこそが、その罪だ―――と」
「違う。そんな訳ない」
そう。
そんな訳がない。
俺が守りたかったのは、訳もわからずに、殺されてしまう人たちで。


「ならば正義とは、ただ、救った命の数でしか図れないものか」

千を救おうとして、五百を取りこぼすのなら。
百を切り捨てて、九百を生かし切ろう。

―――それが、正義のあり方だとしたら。
   確かに、正義とは救った命の寡多でしか図れないということになる。


「ならば、やはり間桐桜を見殺しにしたのはお前の過ちだ」
「何を言っている、お前―――」

「彼女は、黒い聖杯そのものだった。
 例え生きるために、日に百人を飲み干そうが、
 日に万の人間を救えるだけの力を身に付け得た存在だ。
 お前のいう正義とは、百人の命を救うために、一人の殺害を許容するのだろう?。
 なら、万の命を救うために、百の命の殺戮をお前は許容すべきだったのではないかな」

「ふざけるな……っ」
僅かに荒げた声に、刃が肉を切る感触が手に伝わった。
そして同時に。

―――ごぶり。

血のかたまりを吹き出して、しかし、言峰の顔に張り付いた笑顔はなおも消えない。

「ふざけてなどいない。
 1000を救おうとして、500を取りこぼすなら、
 100を切り捨て、900を生かし切る。
 そんな正義なら、その結論が導かれるというだけの話だ」

それは親父の───

「そう。それは、切嗣が掲げた正義だが。
 ───果たして、それで、誰が救われたのかな。衛宮士郎」

親父の、罪の告白だった。


―――それで、合点が行く。

「―――長々と喋ってくれたけど。
  結局は親父の悪口を言いたかっただけか。言峰」

最後の最後まで、この男の憎悪は―――衛宮切嗣という人の心に向けられていた、ということ。
故に、その正義を穢すためだけに、その最後の刻を使おうというのだろう。

「なに。衛宮切嗣への悪口雑言など今更口にしたところで、どうしようもあるまい。
 ただ、最後にお前の勘違いを解いてやろうというだけの話だ。
 衛宮士郎。お前は、本当に衛宮切嗣が何かを救ったと信じているのだろう?」 

「───親父は、俺を救ってくれた」
「ああ。確かに切嗣は、お前という存在を救ったのだろう。
 だが―――」

一度、そこで言葉をきり。
血の滲んだ瞳で―――、

「それは奴の正義の結果ではあるまい?」

奴は、衛宮士郎が気づいてはいけない事実を口にした。

「―――な、に―――?」
「十年前の真実。
 それを訊いたときから、とっくに気付いている筈だろう。
 奴が何かを切り捨てた結果、お前が生かされたわけでなく、
 ただ、死に損なったお前が、奴の手のひらに墜ちたというだけの話だ」

それは。

「聖杯に焼き尽くされた地獄の中」

  言うな。

それは。

「ただ一人、生き残ったお前を救い出したという奴の行為は」

  訊くな。

それは―――。


「お前を救い出したという奴の行為は―――衛宮切嗣が正義のために行った行為では決して無い」


それは―――、一つの致命傷。
やがて死に至る傷を、衛宮士郎の心に刻む言葉を、黒い神父は口にした。

「―――」
「聖杯を打ち壊すという奴の行為は、あの地獄の現界の一端だった。
 その中で、失われぬ命を捜し求めるという行為は、ただの贖罪でしかありえない。
 故に、衛宮士郎。
 お前が憧れた衛宮切嗣を目指すというのなら、奴の正義をなぞらえるのは全くの過ちだ」

鉄で出来た体。
その罅に染みいり。
その心を腐食させる毒のような言葉。

「気付いてはいたのだろう?
 衛宮切嗣は、切り捨てることを選んだが、お前は最後までそれを拒みつづけていた。
 それは何故か。実に簡単だ。
 おまえ自身が、切嗣の方法では、憧れ望んだモノが手に入らないと気付いていたからに他ならない」

硝子で出来た心。
その罅を穿ち。
やがて、砕け壊すための刃のような意志。

「───だから、衛宮士郎。
 間桐桜を見捨てたお前の正義は、かならず切嗣の正義と同じ末路に墜ちる」
つまり。


―――お前には、何も救えはしないのだ、と。


「───」
そんなこと、ない。
そんなことが、あるはずはない。

そう口にしようとして、解け落ちていく言葉。


───親父の、正義は、間違いであるはずが。
 
  そうカタチにしようとする想いは。


―――『───正義の味方には、なれなかった』

  彼自身のそんな言葉に、砕けて落ちる。

「―――っ」
「なに。そう気に病むこともない。
 お前が衛宮切嗣から受け継いだ正義は最初からひび割れていた。
 出来そこないの心しか持ち得ないお前が、そんなものを受け取ったところで
 その罅割れは大きくなるだけだということは、考えてみれば自明だ。
 その傷を塞ぐことがお前には出来なかったというだけの話だが―――
 まだ、砕けていないというのなら、繕う方法もあるかもしれぬ」
そう心から。
正真正銘の慈悲をその眼に、浮かべて。


  まるで、聖者のように、黒の神父は微笑んだ。


「さて。そろそろ、時間だ。
 最後にもう一度、問おう」
もはや返す言葉はなく。
それ以上に、言峰綺礼の瞳は、現世を捉えることもなく。


「───これから先、お前は一体、
  何を護るためにいきるのだ―――?」


衛宮士郎というカタチをした
衛宮切嗣に問い掛けながら。



───黒の神父は、その生涯を終えた。



最後の最後まで。
衛宮という名の正義を、心の底から、嗤い、嘆き―――そして、見つめながら。






血まみれの剣。

言峰の胸に突き刺した刃を、引き抜き。
そして、墓標代わりに奴の亡骸の脇に突き刺した。

誰も、その死を悼むことのない神父の死。
ならば、その墓標には、偽物の剣あたりはふさわしいのだろう。


―――そう。

誰にも悼まれず、そして、誰も想うこともなかった男は、
最後の最後まで、呪いの言葉を吐きながら、その命を終えた。

だけど。

「───そんなこと、解っていたよ。言峰」

奴が残した呪い。
でも、もうそんなモノでは、心は折れないと、
血まみれで嗤うその亡骸に手向けるように呟いた。


―――そう。
  そんなの、判ってた。


正義の味方を語るとき。
親父が楽しそうだったことはただの一度もなく。


───ただ、安心したと笑ってくれたのは。


自分がなれなかった正義の味方に。
誰かを助けるために、誰かを助けないなんてことをしない正義の味方に。
俺がなるって、約束したから、笑ってくれたはずだったから。


だから、もう、とっくに気付いている。
衛宮士郎は、衛宮切嗣になれたとしても。


決して、切嗣が望んだ正義の味方になることはなく。
決して、切嗣の夢を叶えることもできず。

決して。
あの日の、憧れた笑顔になんてたどり着けることはないってことを。


「―――それでも。進まないと」
そう告げて、亡骸に踵を向ける。


体は、剣で。
心は、ガラス。

いくつもの戦場を駆け、
ただの一度も破れなかったとしても。

積み重なるのは、つかみ毟った誰かの願い。

生きたいと。
苦しいと。
助けて欲しいと。
縋り、求め、踏みにじられた、誰かの祈り。

だから、いつか、その重さに、

きっと、剣はひび割れて。
きっと、心は折れるのだろう。


―――でも。進まないと。


背負った罪から逃れる術はなく。
故に、折れないように。ただ、堅く、鋭く、研ぎ澄ましながら。


ただ、この道を歩き続けよう。


―――いつか、この身が折れ、この心が壊れるその日まで。

(了)



須啓です。

コンセプトは真綿で首を絞める言峰くん―――を目指していたんですが、
締め切れなかったなあ、という印象で、お蔵入りしていた作品です。

「正義」という言葉自体の全否定を、言峰自身にさせてみたかったのですが、
なかなかに、彼の黒さを描ききるのは難しいのです。

場面としては、桜を見捨てた鉄の心ENDのその後を想定しておりますが、
こんなシーンもあるかもなあ、ぐらいな感覚で楽しんで頂ければ幸いです。

2004年9月7日。 須啓。

実験的にWeb拍手を導入しています。
お礼のSSなどは準備できていませんが、面白かった、と思ってもらえれば、押してくださると幸いです。